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障害関連著作 理事長大屋滋

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●著作原稿を紹介します(一部改変あり)。頭書の数字はリストの番号です。 いつも発達障害児・者の権利擁護を意識して書いています。興味がある方は掲載書籍・雑誌をご覧ください。 書籍全体を読んでいただくと、より深く理解していただけるのではないかと思います。

 12 教育的ニーズに応じられる専門性とは~保護者の立場から いのちはぐくむ支援教育の展望.141 日本重複障害教育研究会 2006年
 13 発達障害-医師・医学・医療に望むもの  医師のための 発達障害児・者診断治療ガイド 2006年 診断と治療社
 14 「軽度」三角頭蓋手術の意味 大屋滋 発達障害白書2007 日本発達障害者福祉連盟
 19 「行動援護」に望むこと 行動援護従業者養成研修テキスト 付録 独立行政法人国立重度障害者総合施設のぞみの園 2007年
 20 こどもの事件と情報開示-自閉症児を持つ親の立場から 児童青年精神医学とその近接領域. 48(5) 2007年福祉
 25 知的障害や自閉症がある人の医療機関受診について 障がいのある人へのやさしい医療を目指して 市川市医師会 2007年
 39 親として期待する早期発見と早期支援のあり方 教育と医学2011年1月号 慶応義塾大学出版会
 43 提言 社会的な関係を築くために学校教育に期待すること 特別支援教育研究 2012年6月号 東洋館出版社
 47 強度行動障害に関する研究、研修の課題について 平成25年度強度行動障害支援者養成研修研究検討委員会報告書 2014年
 51 わたしと特別支援教育 学校に期待する4つのこと 特別支援教育の実践情報 2016年6/7月号 No.172 明治図書
 52 当事者家族が臨床心理専門職にわかっていてほしいこと 必携 発達障害支援ハンドブック 金剛出版 2016年

千葉県自閉症協会広報誌 みち 新年の挨拶
 84号 2014年 袖ヶ浦事件
 86号 2015年 こだわりと楽しみ
 88号 2016年 介護保険と相談支援
 90号 2017年 あおぞら共生会


12 教育的ニーズに応じられる専門性とは~保護者の立場から 大屋滋

いのちはぐくむ支援教育の展望.141 日本重複障害教育研究会 2006年

 筆者は、養護学校に通う15才の自閉症の男児と、小学校障害児学級に通う11才の女児の父親である。自閉症協会の活動に参加し、千葉県の障害者計画推進、発達障害者支援体制整備、特別支援教育等の委員会の委員を務めている。その個人的な経験に基づいて、障害のある子どもの学校教育に求められる教育的ニーズについて列挙し、専門性について意見を述べる。

1.障害のある子どもの教育における問題点
学校が保護者に対して行うアンケート調査などでは、学校教育に対する不満や批判は余り多くは出てこないようである。お世話になっている学校に対する遠慮や、学校を批判した場合に不利益があるのではないかという不安があるかもしれない。しかし実際には、教育に対しては期待が非常に大きいだけに、保護者の不満も少なくないと思われる。
2005年、千葉県が「障害者のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」案を検討するにあたり、県民から障害者差別にあたると思われる事例を募集した。総数で約800の事例が集まったが、福祉や医療の分野を押さえて教育分野の事例数が最も多かった。その大部分が、保護者からの応募であった。内容を抜き出してみると、障害を理由とした教育機会の制限(就学・就学中)、学校における障害に対する配慮の不十分さ、特殊学級・養護学校の教育内容が個人の能力にあっていない、教員の指導力不足、教育体制の不備、周囲の生徒や保護者の無理解等であった。その中には差別とはいい難い事例も数多く含まれているが、障害のある子どもの教育に関する問題点を指摘していることは間違いない。
2.自立と自己選択
 本人も保護者も、たとえ障害があっても健康で安全で楽しい生活を送りたいと願っている。その上で、現在も将来においても、地域社会の中で自分らしい自立した生活をしていくことが大きな望みである。一般社会では自分で働いて収入を得て、自分の力で暮らすことを自立と見なすことが多いと思う。しかし、障害の重い人の場合は、地域で社会参加しつつその人らしく暮らすこと。そして、必要に応じて適切な配慮を受けながら、自分のことは出来るだけ自分の意志で決めながら生活することが、自立といえるのではないだろうか。学校教育においても、自立や自己選択という視点を強く意識しておく必要がある。 3.合理的な配慮とバリアフリー 障害者が社会参加するためには、①参加する場があること、人として当然の対応を受けることに加えて、②障害特性に合わせた対応、言い換えれば「バリアフリー」もしくは「合理的配慮」が必要である。
逆の言い方をすると、①「障害を理由に参加を拒否される」②「合理的配慮を受けられない」場合に、社会参加の妨げとなる。例えば、車椅子を使用している人が鉄道を利用する場合、車椅子を理由に駅の利用を拒まれたとすれば①に相当する。ホームに階段しかなく、誰も手伝ってくれず実際には列車に乗ることが出来ないとすれば②に相当する。①は明快だが、問題は②である。障害に対する合理的な配慮を行うためには、本人がどのように困っており、どのように支援すればよいのかを一般の人が知っている必要があるからだ。
身体の障害については、一般の人に障害の困難さをある程度は理解されてきている。日本においても通称ハートビル法が施行され、完全に遵守されているとはいないまでも、公共の建物におけるバリアフリーは徐々に進んでいる。しかし、一般の学校においては、まだまだ環境が整っているとは言えない。例えばエレベーターが設置されている学校はまだ少ない。
自閉症などの発達障害においては、本人の学校内や社会生活上での困難さが分かりにくく、その配慮の方法も一般の人に認識されていない。わかりにくいこと自体により偏見が生じたり、結果的に差別が生じることになってしまいがちである。その意味で、2005年に施行された発達障害者支援法が、自閉症などの発達障害の子ども達の実状についてより多くの人に知ってもらうための推進力になると期待されている。まずは、障害の困難さがどれほど大きいのかに気づくことにより、支援が必要であること、すなわち本人の立場を知ることができる。2004年に「光とともに」という自閉症児の家族とその担任教師を主人公とした漫画がドラマ化され、親から見て理想的な学校、学校長、教師が描かれていた。ドラマの中には、本人が自分のおかれた状況を理解する方法、本人なりのコミュニケーションの方法、本人の感覚や不安に対する環境の整備など、自閉症に対するバリアフリーや配慮がふんだんに取り上げられていた。高い視聴率を挙げ、わかりにくい障害のある子どもの理解と具体的支援の必要性についての社会的認知に大きな効果をもたらした。
4.自らの意思表示と自尊心
障害のある人の場合、自らの意志を表明することが困難であったり、もしくは意思表明をためらう場合が多い。成人の入所施設においては、充分に会話能力のある人であっても自分の意見を主張することができない場合がしばしばある。学齢期から、周囲の人が自分の行動を決めてしまい、自分の意見と行動の選択をする機会に恵まれず、自分の意見を表明したり、さらには自分で決めようとする意欲が育っていない場合がある。さらに、暗黙の力関係により、保護者、教師や支援員に遠慮してしまう心理もある。
それ故に、学校においては、障害の重い子どもに対して、どのような選択肢があるのかを本人がわかるように説明し、本人が自ら選んで実行するという機会をふんだんに用意するように努めなければならない。知的障害の場合は優しい言葉や絵や写真を使ったり、発語の機能が障害されている場合は代替コミュニケーション器機を使用したり、自閉症の場合は対人関係の配慮をするなどして、学齢期から自分の行動を可能な限り自分で決め、それを表明する習慣の積み重ねることが大切である。そうすることにより、社会の仕組みやしきたりを少しずつ学んでいくことができるともに、自尊心が高まることになる。
5.地域社会と福祉との連携
特別支援教育は一人一人に合わせた教育であり、支援費制度・自立支援法は一人一人に合わせた福祉である。両者は連携というよりも、融合すべきである。いずれも本人を中心とした評価・計画・具体的支援の実行・記録・再検討が必要。学齢期の子ども達にとって学校は日常の生活の主要な時間を占めるが、それでも年間を通してみると学校で過ごす時間の何倍もの時間を家庭や地域で過ごしている。障害のある子どもの場合、家庭で過ごす時間をいかに支えるかは、教育機関にとっても重要なテーマである。
さらに、障害のある人が学校卒業後にどのような生活を送るのかは、教育の極めて重要なテーマである。どのようにして豊かな日中活動を送るのか。多くの人にとっては、就労が目標になるであろう。すべての人にとって、働くことは義務ではなく権利であり、その権利を実現するために、学齢期から準備をすることが必要である。もちろん就労が困難な人もいる。どのような人にとってもその人なりの日中活動が必要である。できないことばかりに囚われるのではなく、得意なこと好きなことに着目した教育が大切である。
いずれ、親がいない場所で生活をして行くことになるかもしれない。どこに住むのか、自宅で暮らせるのか、グループホームが適切なのか。その場合どのようなサービスがあれば暮らしていけるのか。学齢期にすでにある程度明確になっているはずである。
都道府県のレベルでは、文部科学省関連の広域特別支援連携協議会と、厚生労働省関連の発達障害者支援体制整備検討委員会の両者が設置された。市町村における地域連携協議会においても、教育と福祉の連携、さらにそれ以上の一体化が望ましい。そして、各学校においても福祉との融合できるシステムが必要であるし、何よりも一人一人の生徒のために、学校は自立支援法などの福祉の知識を持ち、福祉などの関係者と一体となって支援することが必要である。それこそが、ライフスパンを見通した個別の教育支援計画の意義といえる。
6.親や家族を支える
障害のある子どもにとって、大抵の場合、親は一生の支援者であり、最大の資源でもある。学校は、本人のために何をするのか決める時、親などの保護者と連携することが必須である。この両者は、うまく受け入れ合うことができないことがしばしばある。障害児の親には、その受容に至るまでの苦悩、子育てをするにあたっての数々の困難の歴史がある。学校はその部分も含めて親との連携を計る努力をしなければならない。その場合、単に同情をするのではなく、本人にどのような教育支援を行うのか、親が納得できるような説明と実践を行うことで理解を得るべきである。子どもの幸せこそが親の幸せなのである。
7.周囲の人の理解を深める
学校という社会で過ごすためのみならず、地域で生活するためにも、他の生徒や保護者の理解を深めることは重要である。もちろん、親や兄弟などの支援としても大きな意義がある。その場合も、障害に対して同情を誘うのではなく、実際に何が困難なのか、どのように支援して欲しいのかを、わかりやすく他の生徒や保護者に伝える必要がある。
8.教育の専門性、向上心
以上、障害児の学校教育に求められる要素を列挙してみた。①子どもが自分で可能限りの選択を行い、自尊心のある生活を送ること、②障害に対する配慮、すなわち障害特性に合わせたバリアフリーをできる限り実現すること、③教育内容を一人一人の特性や個性に合わせること、④学校内のみならず、家庭や地域の生活も教育のエリアとしてとらえること、⑤本人が得意なこと好きなことを伸ばすこと、⑥親の心情に配慮すること、ただしあくまでも本人主体であるべきこと、⑦周囲の人の理解を計ることなどである。

教師にはこれらの点に留意した教育をお願いしたい。しかし、すべて兼ね備えた教師はなかなかいない。逆に、全くいいところのない教師もいない。親にとっていい教師、悪い教師であるよりも、子ども本人の人生にとっていい教師なのか、悪い教師なのかが重要である。教師に大切なのは、まずは気づくこと、そして正確な知識を学ぶこと。気づきと知識が無ければ、自分の実践が的確なのか、不的確なのかも判断できない。自己本位になるばかりである。しがらみにとらわれず、本人のために何ができるのか、その点に集中して欲しい。保護者は、プロとしての向上心のある教師を望んでいる。
また、同志を作ることも役に立つであろう。筆者は「自閉症児者を家族に持つ医師・歯科医師の会」http://homepage3.nifty.com/afd/を結成し、同業の悩みを共有すると共に、医療の現場でより多くの障害児者に貢献する具体的方法を模索している。その活動が自信と安心を生む。一人ではできないことが、力を合わせると可能となる。
行政や管理職には、教育の場におけるバリアフリー環境の整備、人的体制の整備、教師の配置、校内の協力体制の整備していただくことをお願いしたい。周囲からの理不尽な意見と的確な意見を冷静に見極め、障害児本人にとって最も良い方法は何なのかを判断し実行して欲しい。そして、必要以上に慎重になったり、事なかれ主義になったりせず、向上心を持った教師が学校内で活躍できる体制づくりに努力されることを切望する。


13 発達障害-医師・医学・医療に望むもの  大屋滋 

医師のための 発達障害児・者診断治療ガイド 加我牧子 稲垣真澄編集 診断と治療社

筆者は、養護学校に通う15才の自閉症の男児と、小学校障害児学級に通う11才の女児の父親である。日本自閉症協会千葉県支部長であり、千葉県の障害者計画、発達障害者支援、特別支援教育等の委員会の委員を務めている。それらの経験に基づいて、自閉症などの発達障害のある人のライフステージにおける課題と医療に望むことについて列挙したい。
発達障害の人にとって医療は教育や福祉等と並んで重要な分野である。関わる場面は大きく二つに分けられる。一つは、発達障害を対象とした診察・検査・診断・治療、二次的障害の診療等、障害自体に関連した医療である。もう一つは、一般の身体疾患に対する医療である。
Ⅰ.発達障害に関連した医療
1.健診と診断の重要性
自閉症や発達障害のある人が医療に望む最初の最大の役割は、診断である。発達障害の診断に至る経路としては、健診(1才半、3才等)でスクリーニングされる場合と、健診を通過し直接専門医に診断される場合がある。知的障害を伴う場合は前者が多く、伴わない場合には後者が多いと推定される。健診における発達障害発見に対する熱意は自治体によって大きな差がある。例えば、千葉県内市町村を対象とした2004年自閉症児実態調査報告書(千葉県自閉症・発達障害支援システム検討作業部会)によると、健診受診者の数%を自閉症またはその疑いのある子どもとしてピックアップし丁寧にフォローしている市もある一方で、該当者が0人と回答した市町村も多数存在した。発達障害として的確な対応しようとする姿勢・支援体制にも大きな格差があると推定された。健診は地域の療育支援システムの基礎である。各地域の発達障害健診体制のボトムアップが望まれる。
健診でピックアップされた場合もされなかった場合も、最終的な診断は医師が行うことになる。地域に発達障害に関して優れた診断能力を持った専門医がいない場合、親や本人にとって曖昧なままの状態が続くことも少なくない。いかに告知するかは別問題として、診察した医師が発達障害を診断できない、診断しない、または診断を間違えることは、本人の障害特性の理解が遅れ種々の困難な状況に対する支援が遅れるという点で、本人にとっても家族にとっても大きな不利益となる。
2.親などの家族の心情と受容
専門医は診断や障害の内容について、最初に本人ではなく親などの家族に説明する場合が多い。一日中一緒に暮らしている親は、なぜ自分の子どもの成長や行動が普通の子どもと違うのかという疑問や違和感、そして強い不安を持っている。
子どもの障害に対する親の受容の程度や段階は様々である。まず、何らかの障害があるのではないかと疑いを持ち衝撃を受ける。ダウン症などと違い、発達障害の場合多くは「真綿で首を絞められるように」徐々に疑念が高まってくる。そんなはずはないと否認したり、期待と違う生活状況の中で悲嘆、絶望にくれる段階もある。このような非常に辛い状況は、知的障害が重い場合は幼少期に、軽度の場合は学齢期にピークとなることが多い。その後、本人のそれなりの成長や、周囲の人の支援により、少しずつ楽しみが増え、子どもの障害を受容できるようになる。それでも、一度受容すればもう大丈夫というわけではなく、ちょっとしたきっかけでショックや絶望は繰り返し襲ってくる。
親は、受容がどのような段階にあっても、発達障害に関する知識がどの程度であっても、医療機関を受診する時には何か得るものを欲している。診断が欲しい場合もあるし、具体的なアドバイスが欲しい場合もある。慰めや安心が欲しい場合もある。画像検査や心理学的検査を、医学的必要以上に求める親がいるが、何とか少しでも具体的な成果を得たいという気持ちの表れであろう。専門医は、親の受容段階や要望を推察し、それに合わせた説明を行うように努めることが大切である。たとえ的確な助言を与えることができない場合でも、少なくとも親の心の傷を拡げることだけは避けなければならない。親や家族の心の安定が、本人支援の大きな基盤になる。

表1 発達障害児の親や家族の心情と受け容れの段階
①驚き 衝撃 ショック
    徐々に真綿で首を絞めるように、波が押し寄せるように強くなる
②拒否
③混乱
④悲しみ、不安、苛立ち、怒り、諦め、喪失感、絶望感
  ⑤不憫さ
⑥努力 しばしば焦りを伴う
⑦受けいれ
⑧楽しみ  親にとっても、子にとっても
繰り返す、新しい  ショック、混乱、苛立ち、悲しみ、怒り、諦め、焦り

3.本人の理解と支援
もちろん、本人への支援は親や家族への配慮以上に重要である。本人がどのようなところでつまずいているのか、何が苦手なのか、なにが得意なのか、何が好きなのか、一人一人の特性を評価すると共に周囲の環境との相互関係を的確に評価する。その上で具体的にどのような配慮、言い換えればバリアフリー策が必要なのかを探し出すことが重要である1)。本人の悩み、困り感にも焦点を当てる必要がある。出来るだけの具体的な対策を用意した上で、本人に説明や告知がなされることが望ましい。本人に対する支援策があることこそが、親や家族にとっても最大の支援となり安心と喜びを生む。
4.療育体制と告知
本人に対する療育支援のレベルは、地域によって大きな格差がある。診断から早期療育まで一貫した体制が構築されている地域もあれば、診断ができても次につなげる公的・私的な療育機関、サービスが乏しい地域もある。当然、療育体制が整っている方が、障害告知のショックから少しでもソフトにランディングすることが可能となる。
診断の告知の後に、的確な療育システムにつなげることができない場合、医師としては忸怩たる思いが生じるかもしれない。しかし次の療育や支援体制が不十分であることを理由に、親や家族に対していつまでも告知をしないというのは不適切である。告知は当事者にとって確かに辛いことではあるが、一人でも寄り添ってくれる人がいれば、親や家族は自ら努力を始める場合が多い。本人に対する告知には、障害の種類や程度により慎重な対応とタイミングが必要であるが、本人が自分の障害を知りたいと感じているなら、告知すべきであると思う。それにより、少なくとも自分について理解を深めることができる。
5.本人や家族の会への協力
自閉症協会、育成会、また、ADHDやLD等の当事者や関係者が参加して運営されている発達障害の団体が存在する。そのほか、地域に密着して地道に活動している小規模な団体も多い。これらの団体の活動が急速に充実してきている。例えば、日本自閉症協会千葉県支部は県内各市町村において自閉症児者の支援のための活動を行っているが、いろいろな職種の社会的に有能な人材が多数参加している。会員間の相談のみならず、場合によっては専門家や行政が利用することが可能な陣容であり、発達障害の人を支える資源として、もっともっと活用されるべきものである。ただ、今後よりいっそうのレベルアップを図るためには、専門家の個人的な協力、母子保健行政や発達障害にかかわる医療機関との連携強化が必要である。特に、知的障害を伴わないアスペルガー症候群やLDなどの本人の会や、精神科的合併症を持つ人達の支援等のためには、専門医の関与は不可欠である。
6.医学的研究の意義
発達障害に関する研究にはいろいろな分野があるが、家族や本人が最も望んでいるのは、社会生活に役に立つ研究である。もちろん精神医学や脳科学に関する研究にも大いなる期待がもたれている。障害の改善に結びつく治療法の開発への期待もあるし、脳の働きのメカニズムの探求という意味でも興味深い。と同時に、自閉症や発達障害の存在は人間とはどのような生き物なのかということを我々に問いかけてくる。長年自閉症の子どもと一緒に暮らしていると、その不思議さとともに、その愛すべき特性を感じずにはいられない。
7.治療と倫理
ADHDに対する薬物療法や、てんかんなどの併発症や二次的な精神疾患などの治療は、医療の重要な役割の一つである。しかし、発達障害において、治療という言葉には極めて慎重になる必要がある。これまでにも何度も特効薬とか画期的な治療と称する方法が発表されたり、宣伝されたりしている。そのたびに親が殺到してきた。マスコミやインターネットの威力により、派手なニュースが爆発的に広がる現象が生じている。最近も、重金属中毒や脳神経外科的手術をめぐる報道により発達障害児の親が混乱に陥った。どのような病因論や治療法に対しても、頭から否定することは医師として正しい態度とは言えないが、対象や効果が明確でない、もしくは限定的である可能性が高い方法を、あたかも治癒する治療法であるとか、すべての発達障害の人が試すべき治療法であるかのように喧伝することは許されない。意図的であれ、結果的であれ、親の「藁にもすがる思い」を利用してはならない。親が自分でその治療法を受けるのならともかく、子どもに受けさせる場合は、親は治療の代諾の責任を果たす必要があり、よりエビデンスの明確な科学的に認められた方法を選択すべきである。治療を目指す医師は高い倫理観を持ち、一般的なインフォームドコンセント以上の細心の配慮をしなければならない。発達障害の専門医は、親に対して正確な知識を伝え、有効な具体策を共に考え続けることにより、本人を危険に晒すことを防止しなければならない。
8.学校教育と医師の役割
文字通り教育は「教え育む」ことであり、一生涯続くプロセスである。広い意味での治療と言えるかもしれない。特に、学齢期における教育は、発達障害のある子どもにとって人生を左右する重要なものである。学齢期の教育を担う主たる専門機関は学校である。学校において、できるだけ一般の子ども達と同様の参加が実現され、子ども一人一人の障害の特性に合わせた、バリアフリーの配慮が行き届いた教育がなされることが大切である。障害の程度が重くても軽くても、本人の特性や個性に合わせた環境の配慮やコミュニケーションの支援が行われ、本人が自分の置かれた状況を理解し、できるだけ自分の力で行動の選択を行う。そのことによって、周囲の人との関係や社会の仕組みやしきたりを学ぶ力を養うとともに、自尊感情のある生活態度を育むことができる2)。
発達障害に詳しい教師は増えており、親と学校の関係は良好な場合もあるが、親や家族の側から見ると教育行政や学校の壁は非常に厚いことが多い。たとえ一人一人の教師は努力していても、結果的に、学校全体としては非合理な対応がなされることがある。そのため、親の中には、教育や学校に対して高圧的、保守的というイメージを抱いたり、敵対的感情やあきらめの感情を持っている人が少なくない。逆に一部の教員や学校側にも、親に対して必要以上の警戒をする傾向がある。医師は、本人の客観的な評価を行い、合理的な支援策を提案することによって、両者を仲介できる大きな可能性を持っている。特別支援教育で推進されている個別の教育支援計画を策定する上でも、医師の役割は大きい。
9.地域生活、福祉を意識すること
地域生活の場では、医療は福祉との連携なしには有意義な役割を果たすことはむつかしい。医師は、本人や家族がどのような社会生活をしているのか、学校や職場でどのように過ごしているのかについて意識することが大切である3)。
支援費制度により、障害者一人一人に焦点を当てた福祉が始まった。2006年度からは障害者自立支援法が施行される。これまでの身体、知的、精神の3障害の垣根をはずすとともに、これまで障害福祉の対象とならなかった発達障害の人たちも対象に加わる可能性が広がった。各種の福祉サービスを受けるにあたって、介護保険と同様に障害程度区分判定が行われるが、老人の場合と比べて、その障害や支援方法が多彩でありまたわかりにくい。現時点での自立支援法には発達障害の分野は規定されていないので、知的障害か精神障害の分野に含まれることになるが、これらの領域では、障害程度区分の一次判定が、医師の意見書によってより重度な区分に変更されることが多いと言われている。その意味で、意見書の重要性が介護保険と比べてもより大きいと考えられる。医師には、意見書のチェック項目のみでは表現しきれない社会生活上の困難さや、具体的にどのような支援が必要であるのかについて特記事項として書き込むことのできる知識と能力が期待されている。

Ⅱ.身体疾患の医療
自閉症等の発達障害のある人たちの社会生活にとって、病気になったときの医療機関受診は重要なテーマの一つである。しかし、病院受診時には種々の困難が生じる場合が少なくない。2006年に千葉県が策定を目指している「障害者のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」案を検討する課程で、県民から障害者差別にあたると思われる事例が募集された。総数で約800の事例が集まったが、医療分野においても、診療拒否などの深刻な事例が多数報告されている。事例を分析した結果、条例案では、①「障害を理由に参加を拒否される」②「合理的配慮を受けられない」の二つの場合を差別と定義している。医療分野においても、①発達障害者が受診しやすい状況を作ること、②発達障害の特性に配慮した支援を行うことにより、本人も、家族も、そして医師の側も、より安心できる診療を目指さなければならない。必要と思われる事項を列挙し、筆者が行っているささやかな実践を例として手短に述べる。
1.安心して受診できる医療機関
①.受診者側と医療者側の相互理解
千葉県内の各地で、自閉症協会や育成会などの障害者団体と、医師会、歯科医師会、病院などが共催して、発達障害児者の医療機関受診に関するセミナーが開催されている。意見交換が積み重ねられ、お互いの立場の理解に有意義な成果をもたらしつつある。
②.医療機関への啓発
2003年、日本自閉症協会千葉県支部は千葉県医師会の協力のもとアンケート調査を行い、発達障害の人を積極的に診察する「自閉症等の相談・診療の医療機関名簿」を作成し自閉症協会ホームページ等に公開した。今後この名簿に参加する医療機関が増加し、最終的にはすべての医療機関において積極的な受け入れが行われることを期待している。
2.医療機関での合理的な配慮
自閉症などの発達障害に対する配慮の方法は医療機関においても認識が不足している。合理的配慮、言い換えれば一人一人の障害の特性に合わせたバリアフリーを実現するための具体的取り組みが必要である。
.障害特性に配慮した工夫の集積
千葉県はアクションプラン2004「障害者の総合健康診断及び人間ドックを進めるモデル事業」に基づき、旭中央病院において発達障害児者を対象とした人間ドックを施行し、検査や診察を円滑に行うための具体的な工夫を試行・検討・集積している4)。
②.一人一人と医療機関がうまく伝え合うための工夫
千葉県はアクションプラン2004「障害児(者)の医療サポートを充実する事業」に基づき、医療機関受診サポート手帳を作成し、全県的に配布した。コミュニケーションが円滑に行えない障害児者等が、適切な医療が受けられるように支援するため、患者側と医療者側がうまく伝え合うための具体的な方法、障害の特性や好きなこと・嫌いなこと等の本人の特徴、これまでに行った医療行為や検査の状況、工夫などを記入出来るようになっている(図1)。
③.工夫を研究や集積する場 2002年に自閉症児者を家族に持つ医師・歯科医師の会(通称AFD)が結成された。2006年1月時点で、全国から約140名が参加している。家族としての悩み及び医師・歯科医師としての悩みを共有すると共に、医療の現場でより多くの障害児者に貢献できる具体的方法を模索している。

Ⅲ.医師に望むこと
自閉症などの発達障害は、一般社会ではその障害の存在自体がまだまだ認知されていない。親の育て方が悪くて自閉症になるとか、テレビの見過ぎやゲームのやりすぎが発達障害の原因である等と高言する記事や報道が、未だに多数見受けられる。もちろん、親の養育態度、家庭環境、過剰な刺激などが子どもの成長に関連することには異論はないが、一部の自称専門家達はそのことを強調することにより、社会一般の人がどのように受け止めるのか、教育にどのように影響するのかという点についての配慮を著しく欠いている。その結果、自閉症や発達障害の人達への真の理解が妨げられ、本人や家族を激しく苦しめることになる。日本の現状では、発達障害は基本的には先天的に存在する脳の機能障害に起因することを強調すべき段階であると考える。
自閉症などの発達障害においては、本人の学校内や社会生活上での困難さが分かりにくく、その支援の方法も一般の人に認識されていない。わかりにくいこと自体により偏見が生じたり、結果的に差別が生じることになってしまいがちである。結果的に、社会に参加できない場面が増えたり、二次的な障害を引き起こすことになりうる。発達障害に関連した、虐待、いじめ、反社会的行動などの残念なニュースが多く報道されているが、これらの多くは周囲の人の発達障害に対する理解の不足が直接的、間接的に引き起こした現象と推定される。その意味で、2005年に施行された発達障害者支援法が、発達障害の人達の実状についてより多くの一般の人に知ってもらうための推進力になると期待されている5)。
医療は発達障害の人にとって非常に重要な分野であることは間違いないが、教育や福祉等との連携なしには、大きな役割を果たすことはできない。医師には、医学というエビデンスを基盤とする体系について最低限の基礎的知識を共有していること、合理的な考え方に慣れていること、個人の判断に基づき体制に縛られない行動を行いやすいこと等の強みがある。発達障害に対する正確で新しい知識を持つ医師が、教育や福祉等の分野に積極的に関与し、一般社会の人への啓発の先陣を担って下さることを切にお願いしたい。


14 「軽度」三角頭蓋手術の意味 大屋滋

発達障害白書2007 日本発達障害者福祉連盟

1)三角頭蓋は前頭縫合の早期癒合を原因とする狭頭症の一型であり、前額部が尖っていることから命名された。従来、形態的に高度な三角頭蓋に対して、頭蓋内亢進、美容的理由などを目的とした手術が行われ、「軽度」な三角頭蓋には手術適応がないとされてきた。 2000年、沖縄県立那覇病院脳神経外科の下地武義らが、「小児の脳神経」誌に論文「臨床症状を伴う三角頭蓋」を発表した。言語発達遅滞を中心とした知的障害や多動傾向、自閉傾向などの行動異常、運動発達遅滞などの発達に関わる症状を伴う「軽度」三角頭蓋の症例が存在し、それらに対する手術を行い症状が改善したと報告した。沖縄県立那覇病院及び沖縄県立南部医療センターのホームページによると、2005年5月時点で220例の手術が行われている。2005年には、国立成育医療センター脳神経外科が対象症例を限定した研究を開始した。手術術式は、冠状皮膚切開で頭皮を翻転し両側前頭開頭を行い、取り出した頭蓋骨をトリミングして元に戻し頭蓋を拡大する。「軽度」三角頭蓋において、手術により頭蓋内圧亢進や脳血流が改善され臨床症状が改善するという、従来にない仮説を提示した点で一定の評価を得たが、同時に多くの問題点も指摘されている。

2)この手術について情報がインターネットなどを通じて拡大し、発達障害児の親に混乱が生じている。2000年、県立那覇病院に対して社団法人日本自閉症協会が「三角頭蓋手術に関することについて(お尋ね)」、2003年、日本児童青年精神医学会倫理委員会が「発達障害を伴う軽度三角頭蓋例における、発達障害の治療を目的とした倫理的問題及び外科的臨床研究などに関する質問」を送付した。前者に対する回答には、「私たちは、三角頭蓋の所見を示す患児に言語発達遅滞、多動傾向さらに自閉傾向を症状として持っており、これらの症状が手術により、ある程度改善していますよとのことです。決して自閉症の治療であると誤解なさらないで下さい。」とあり、論文にも発達障害に関するICD10やDSM-Ⅳの診断名は記載されていないが、実質的に発達障害の子どもが手術対象になっている。 発達障害のなかでも、学習障害は教育的対応が主体であり、注意欠陥多動性障害にはリタリン投与等による医学的対応があるのに対して、自閉症などの広汎性発達障害には、医学的に即効性のある治療方法が乏しく、療育・教育システムも貧弱な場合が多い。自閉症は養育上の困難が極めて大きい障害であり、しばしば親が疲弊している。さらに、マスコミによる発達障害と反社会的行為を結びつける報道の多発により、親の不安が高まっている。親が三角頭蓋手術を「自閉症の治療」と信じたくなる状況にある。日本における自閉症児とその親を取り巻く療育環境、社会環境の劣悪さを反映しているとも言える。

3)「軽度」三角頭蓋の形態異常の基準が明確でない。頭蓋内圧測定はそれ自体が手術を必要とする。さらに、頭蓋内圧が正常で症状と関連がない症例も存在する。脳血流測定は比較的低侵襲な検査であるが、症状との対応が不明である。発達に関わる症状がありさえすれば、三角頭蓋が極めて軽微であっても手術対象に含まれる危険性がある。

4)三角頭蓋手術自体の発達障害の症状に対する効果は未だに証明されていない。手術を含めた治療に何らかの効果が認められた場合、その機序として、頭蓋内圧亢進の解除、脳血流の改善以外に、手術や入院のエピソードが患児の興味やモチベーションなどを変容させる可能性等が仮定される。また、過去の自閉症治療に関連する研究ではプラセボ効果、ピグマリオン効果、Howthorne効果の多大な影響が知られている。評価者の過度な期待による評価バイアスが生じる可能性も指摘される。短期的に症状が改善したとしても、長期的なフォローアップが必要である。

5)医師も親も子どもの権利を最優先しなければならない。一般的に子どもの医療行為の承諾は親が代理で行うことが認められているが、あくまでも代諾である以上その医療行為は確立されたもの、もしくは充分な合理性のあるものでなくてはならない。もし治療方法に合理性がなければ、子どもへの人権侵害に陥りかねない。親が「藁をもすがる思い」の心理状態であるとき、情報を公正に判断することは容易ではなく、医師側の説明には最大限の配慮を必要とする。ただ単に「親が頼むから手術する。」ということは、決してあってはならない。医師には慎重な対応とともに、毅然とした態度が必要である。

6)「軽度」三角頭蓋手術は人体を用いた研究として認識され、手術適応の範囲を解明すべきである。さらに、本人、親に対する可能な限りのアフターケアが必要である。病院単位のみならず、関連する学会が取り組むことが求められている。


19 「行動援護」に望むこと 大屋滋

行動援護従業者養成研修テキスト 付録 独立行政法人国立重度障害者総合施設のぞみの園

我が家の長男は知的障害と自閉症を持つ16歳の青年です。彼は外出するのが大好きです。幼少期に比べるとずいぶんと落ち着きましたが、家の中でも外出先でもいろいろなことがあります。行動関連12項目について私が甘めに採点してみると13点になります。多動、奇声、突然走っていなくなることはしばしば。悪い環境が重なったり、自分の思いと違う状況に遭遇すると、パニック、物を投げる等の行動もあります。立派な行動援護の対象者です。そして、これまでほとんどの場面で、親が行動を見守ってきました。

幼少期はショッピングセンター等に行くと、あっという間に走っていなくなってしまうことが日常茶飯事で、見つかるまでの間、何か良からぬことが起こっていないかとても心配しました。私も悪い行動を減らしたい、危険が起こらないようにしたいという気持ちが強く、くどくどと言葉かけをしたり、手を引っ張ったりしていました。当時の状況から考えるとやむを得ないことだったと思いますが、まさに「悪い」ことを減らすための援護でした。
行動関連項目の中には、「言葉以外のコミュニケーション手段を用いた説明の理解」、「本人独自の表現方法を用いた意思表示」という項目があります。彼はいずれにも該当しますが、この二つのことは決して悪いことではなく、彼にとってとても大きな救いとなっています。彼は親のみに通じる独特の単語・身振りや、絵・写真カード、身近なIT器機(パソコンやニンテンドーDSなど)を使って簡単な言葉のやりとりをすることができます。本人とのコミュニケーションが親からの説明のみでは、結局は命令になりがちです。他人から見るとおかしな方法かもしれませんが、本人にわかるように伝えるのみならず、本人からわかるように伝えてもらうことができることにより、やりとりの幅が広がり、何より本人の満足感が大きくなります。これらは、「良い」ことを増やすための援護と言えます。


現在、彼は毎日のように両親、時として支援者やボランティアと町中に出かけています。時間に余裕があるときは、彼が自分で自分が行きたい場所や店を決めます。条件が整っていれば、一人で出かけることもあります。そして、お菓子やジュースを自分で選んで買って喜んでいます。このようなことを自分で選択し、要求できるようになった、そのための経験を沢山積んできたことが、彼の財産になっています。そして、本人の意志がはっきりと伝わりそれが尊重されているときには、周囲が困るような行動はとても少なくなります。

今でも、彼は買い物に行ったときに親と離れて一人でふらふらとしています。店の中で一カ所にずっと立って低い声でうなりながら身体を揺すっていたりして、他の人から見てかなり変な人です。でも、それ以上の迷惑はかけずに過ごしています。

自由な行動にはどうしても危険性が含まれます。親や周囲の人はいろいろな点で優先順位を考える必要があります。安全性を優先するのか、本人の希望を優先するのか。絶対に守らなければならないことはなにか。許容できる範囲はどこまでか。見栄えが悪いとか、少しの迷惑、少しの危険は許容できるのか。それらのことについて、予め本人や親などの家族と支援者、時として周囲の人との相談や合意が必要でしょう。
本人の希望する外出はできるだけ実現してあげたい。そして、自由に楽しんで欲しいと思います。そしてこのことは親がいなくてもずっと実現し続けて欲しい。自閉症や知的障害を持つ人にとって、必ずしも容易なことではありませんが、「行動援護」がその願いを担う役割を果たしてくれるのではないかと期待しています。


20 こどもの事件と情報開示-自閉症児を持つ親の立場から 大屋滋

児童青年精神医学とその近接領域. 48(5) 2007年
1.親の心配と願い。
自閉症児者が地域社会の中で暮らしていると、社会的スキルやコミュニケーションの不足により起きた些細なトラブルが、一つ間違えると警察沙汰になりかねない場合がある。親は我が子が被害者、加害者、被疑者として事件にかかわる可能性を心配し、事件報道を見聞きすると他人事ではないとの思いを持つ。さらに社会一般の人たちが障害に対して悪いイメージを持ちはしないかとの懸念を持つ。報道が偏見や差別ではなく、障害についての正しい理解と支援を進め障害児者が住みよい社会を作る力になって欲しいと願っている。

2.事件に関して情報の公開は進めて欲しい。
国民には知る権利と表現の自由が保証されており、国民の幸福のために社会の正当な関心事は報道されるべきである。「凶悪犯罪」は正当な関心事に含まれるとされているが、少年事件は社会一般の人が理解可能な理屈に合わせた安直な解決法に迎合する報道になりやすい。司法の世界とも共通したキーワードに基づくシナリオに沿って、被疑者の「動機」が重要視され、「反省」が求められる。障害に対するパターン化したイメージが使用され、理解しにくい言動をすると恰好の素材となる。断片的な事実に焦点を当てそれ以外の事実を削除することにより、結果として自閉症は奇妙で不気味であるという誤ったメッセージを提供することになりがちである。また、最も多くの時間と機会にかかわった、親、もしくは養育者、特にその中の誰か一人に原因を求め、責任を追及することになりがちである。
事件が起こる要因としては、実際には、本人の素因、環境、偶然の要因等多くの因子がある。正確な情報がないまま誤った情報のみが一人歩きすることは大変危険である。マスコミは思いこみや決めつけでない正確な情報の公開を目指した報道して欲しい。誤りに気付いたときにはしっかりと訂正しなければならない。

3.個人を特定する情報の報道は不要である。
医師には守秘義務がある。しかしマスコミ取材の努力の賜として、情報のある程度の開示は許容される場合がありうると思う。どこまで公開するかは真の意味で公益性とのかねあいとなるが、少年の将来の社会生活に著しい制限をもたらすことは避けるべきであり、本人、家族、関係者のプライバシーは出来るだけ保護されるべきであろう。情報源の保護や、節度を持った取材は当然必要である。もちろん、被害者の家族に対しては、出来る限りの正確な情報を提供することが必要だと思う。

4.事件のみならず、障害に関わる広範囲なテーマについて報道を行うべきである。

視聴者・読者に不適切なメッセージを伝える原因の一つは、発達障害に関して報道される分野、テーマの著しい偏りである。発達障害の子どもが引き起こす事件は多発しているわけではないが、一部の事件は常識外れな不思議さを伴い、視聴者・読者の興味をそそり、新聞の1面を飾りやすく見出しも大きくなる。新聞には政治、経済他いくつもの紙面があるが、発達障害が少年事件と特別支援教育以外で登場することはまれである。
いじめ、不登校、引きこもり等が取り上げられる場合ですら、発達障害という切り口を含む記事は少ない。これらの社会的問題や他のいろいろな分野の番組や記事に発達障害を積極的に取り上げてもらいたい。映画やドラマの影響も非常に大きい。発達障害のこどもは社会の中に大勢暮らしており、種々の困難や生きにくさを感じながらも、環境と教育が整っていれば健やかに過ごしている。そのことをあらゆるジャンルを通じて紹介して欲しい。事件報道は、マスコミを通じた一般社会の啓発の推進と共に行われるべきである。

5.公共のマスコミはインターネットとは違う整理された情報を提供して欲しい。
発達障害の少年事件が起こった場合、処遇として考えるべきことは、罰ではなく教育である。重要なのは動機の解明よりも障害特性や周囲の環境を含めたプロセスの理解であり、当事者の矯正、教育、支援の妥当性や、同様の事件の予防を検討することである。マスコミは一般の人たちにとって最大の情報源であり、真の原因と社会として取るべき方策を冷静に論議する基盤を作るために、極めて大きな貢献をすることができる。
先ずはマスコミに関わる一人一人が発達障害の特性と具体的支援の知識を深めることが大切である。同時に報道が視聴者・読者へどのような効果を生むのかしっかりと予測して内容を考える事も重要である。一回で報道しきれない場合は、いろいろな側面を繰り返し報道することにより視聴者・読者に対して総合的なイメージを作り上げる努力が望まれる。

6.結論
自閉症等の発達障害のあるこどもの事件に関わる情報開示、情報公開は、多分野における障害関連のマスコミ報道の量的質的拡大と共に行われなければならない。自閉症等の発達障害のあるこどもへの理解と支援が一般社会に広がることを目標とすべきである。


25 知的障害や自閉症がある人の医療機関受診について 大屋滋


障がいのある人へのやさしい医療を目指して 市川市医師会 2007年

知的障害や自閉症等の発達障害がある人も当然の如く診療所や病院を受診します。しかし、発達障害について詳しい知識を持った医師や医療従事者(以後、代表して医師と記しますがすべての医療従事者に当てはまります)、診療に慣れている医師はそれほど多くありません。同時に、患者さんの多くは、現在医療機関や医師が陥っている厳しい状況について充分に認識していません。その結果、受診する側のみならず、医師の側にとっても辛い体験になることがあります。顔を向き合わせて話し合いを行い、お互いの状況を知り、現実に見合った具体的な対策を考え、地道に実行し続けていくことが大切です。
本稿では自閉症児の親の立場と、救急医療に携わる病院勤務医の立場の両方から情報を報告することにより、今後の議論の種になることを期待しています。

Ⅰ 医師に知ってもらいたいこと(障害児の親の立場から)
知的障害や自閉症のある人の医療機関受診は医師が想像しているよりもずっと大変です。しかし、正しい知識と熱意があれば、スムーズな診療が可能となる場合が多く、時としてお互いに大きな達成感を得ることもできます。

1)医療機関受診時の困難さ
平成16年度厚生労働科学研究助成「発達障害者支援のための地域啓発プログラムの開発」(主任:堀江まゆみ、分担:大屋滋)の調査によると、知的障害や自閉症のある人とその家族の多くが病院や診療所で辛い経験をしています。診療を拒否された、途中で受診をあきらめた、待合室での周囲の目、医師からの暴言、本人への説明がない、強引に押さえつけての診療など、後々までトラウマとして残るような経験も含まれています。
医師の側からも、言葉が理解できず診療ができない、症状がわからない、指示に従えない、待ち時間を待てない、パニックになった、暴れた、大声を出した等の問題が挙げられています。

2)対応の基本
対応はあくまで本人に対して行うことが基本です。そのためにこそ、親などの家族や周囲の支援者の協力が不可欠です。緊急を要する場合を除いて、可能な限り知的障害や自閉症の障害特性に対するバリアフリーと、本人に対する説明と同意(インフォームド・コンセント)を行う努力が必要です。要するに、一般の人にするのと同じことをどのようにしたら知的障害や自閉症がある人に対して実現できるかを検討し続ける姿勢が大切なのです。

①基本的な考え方
病院において、自閉症や知的障害がある人がいわゆる「問題行動」を起こすことがあります。例えば、医師の指示に従えないとか、暴れて検査ができないなどの行動ですが、水面下には本人にとってそれなりに理由がある場合が多い。その理由の一つが、検査や処置がどの様な内容でどれくらいの時間かかるのかが本人にとって理解しづらいという認知能力の問題と、それを伝えあうコミュニケーションの不十分さです。コミュニケーションは、本人だけでなく相手との関係で成り立つものですから、相手となる周囲の人たち(医師や看護師等)の側もうまくコミュニケーションをとっていないことになります。これを自閉症や知的障害を持つ人と周囲の人とのあいだにある障害特性に起因する一種の「バリア」として認識することが大切です。
世の中には色々意味で理不尽な扱いを受けている人がいると思いますが、知的障害や自閉症がある人とその家族はその代表の一つです。ある調査では、知的障害や自閉症のある人の家族は、一般の方はもとより身体障害のある人の家族に比べても、他人から差別されているという意識が高い。このような意識が生じる第一の要因は、障害の軽い重いではなく、社会における障害に対する支援策が乏しいことです。しかし、それ以上に、障害の存在やバリアの存在自体を周囲の人に理解してもらえないことが、大きな要因となっています。さらに、障害の存在自体を親の責任として責められることもしばしばあります。プロである医療従事者は、自分の方から相手に合わせたコミュニケーションをとろうとする姿勢が大切です。
②患者さん側が医師にどの様に伝えるか
日本において一般の医療機関の医師は非常に多忙であり、外来診察はいわゆる3分間診療にならざるを得ません。その制約の中で、コミュニケーションに困難性を持つ患者さんの場合「本人の訴えがわからない。」ということが最初の関門となります。自閉症児者が的確な診療を受けるためには、親や支援者の準備が必要です。千葉県が作成した受診サポート手帳や市川市で取り組んでいる医療機関への説明カードは、上記の目的達成に効果が期待されます。身体の絵を描いた問診票などが有効な場合もあります。
③医師側からどの様に伝えるか
しばしば「医師側の言うことを理解してもらえない。」という場合があります。確かに如何ともしがたい場合もありますが、本人へ可能な限り状況を説明し納得してもらう工夫をすることが大切です。知的障害や自閉症がある人も自分が受ける医療行為について曲がりなりにも理解できると、しばしば我慢することができます。医師が自閉症や知的障害に特有のバリアの存在自体に気付き、不完全ながらその対策があることを知っていれば、少しずつであっても解決策が見えてきます。例えば以下のような方策があります。
ⅰ まず、本人が少しでも安心できるような環境を作る工夫が必要です。
ⅱ 視覚的な説明、具体的には、写真や絵を使うと有効な場合が多いです。
ⅲ 予め実物を見学するのも有効な方法です。
ⅳ 何をする場所かをわかりやすくすることが有効です(場所の構造化)。
ⅴ スケジュールを伝えることが有効です。
ⅵ ステップ・バイ・ステップで行うとうまくいくことがあります。
知的障害や自閉症がある人の支援にはTEACCH(ティーチ)プログラムの考え方が非常に有効です。TEACCHプログラムは、アメリカノースカロライナ州で行われている「自閉症の人たちへの教育と福祉の包括的な援助システム」のことですが、日本では「自閉症や知的障害の人への援助方法」として有名です。「自閉症のための絵で見る構造化」(学研)、「自閉症や知的障害をもつ人とのコミュニケーションのための10のアイデア」(エンパワメント研究所)等沢山の参考書が出版されています。
④支援方法の多様性
知的障害や自閉症がある人は、ひとり一人様々な特徴や個性があり、環境の変化にも弱いため、誰にでも、いつでも通用する単一の方法はありません。ですから、どの様な工夫をしても最初からうまく行く保障はありません。ただ、視覚的な説明、スケジュールの説明の二つに心がけつつバリアフリーの工夫をしていくと、うまく行く確率が高まります。一つでもうまく行くと、患者さんからの信頼はすごく高まります。そして、2回目からはスムーズに検査や処置を受けることができるようになります。自分で理解した処置を、自分の意志でやり遂げたときの患者さんの嬉しそうな顔を見ると、医師も、また工夫してみようという意欲が湧いてきます。まずは、初めの一歩をトライしてみることです。

Ⅱ 医療機関受診支援のための活動と今後の課題
 千葉県や全国で行われている医療機関受診サポートのための取組みと課題を列挙します。
1)受診支援の仕組み作り
①「受診サポート手帳」
2005年千葉県が「受診サポート手帳」を作成しました。多数の有効事例が報告されていますが、全県的な普及は今のところ充分ではありません。千葉県の手帳に触発されて、広島、名古屋、鳥取、群馬、静岡、北海道などでも同様の試みが始まっています。市川市手をつなぐ育成会と市川市医師会が行っている「説明カード」の取組みは、両団体の密接な交流により、大きな成果が生まれると期待されています。
②障害者の総合健康診断及び人間ドックを進めるモデル事業
千葉県は2004年度から2006年度にかけて、旭中央病院において知的障害や自閉症がある人の人間ドックモデル事業を行いました。今後、他病院にも広がることが期待されます。
千葉県における「自閉症等の相談・診療の医療機関名簿」
2003年12月、日本自閉症協会千葉県支部は千葉県医師会の協力のもと、千葉県医師会に所属する全会員を対象にアンケートを行いました。質問は1.医療の相談にのる、2.自閉症等の専門診療を行う、3.身体疾患の診療が可能、の3項目です。その結果、合計117の医療機関から賛同をいただきました。名簿を作成しホームページに公開するとともに、医師会会員に名簿を配布しました。2006年に追加調査が行われました。
知的障害や自閉症のある人を快く受け入れてくれる医師は、ある程度の時間的・心理的余裕があること、自閉症に対する知識があることに加え、医師本人の個性や環境が関係しており、現時点ではその数は限られています。バリアフリー策が広く知られるようになり、また社会的な評価が高まり、徐々に増えていくことが期待されます。
④医療サポーター、メディカルヘルパー、病院ボランティア
 将来的には、病院受診時に、患者側(本人、家族、教育・福祉関係者)と、医療関係者の間のコミュニケーションを支援する専門職が必要と思います。聴覚障害者にとっての医療手話通訳者に相当する役割でが、知的障害や自閉症の場合、より複雑な能力を要求されます。介護ヘルパー講習のプログラムに加えることも一案でしょう。また、障害に対する知識をもった人を病院内でのボランティアとして重用することも有意義と思います。
⑤学校での取り組み
 いくつかの特別支援学校では、健康管理及び病院受診スキルの向上、本人のコミュニケーション能力の向上、本人の特性についての情報提供等に関する取り組みがあります。今後は学校全体の取り組みとして発展することが期待されます。
2)医療従事者に対する啓発活動
①医療団体を巻き込んだセミナーの開催 2003年5月に千葉市で「自閉症や知的障害を持つ人の医療に関するセミナー」を開催しました。以後、旭市、市川市、船橋市、千葉市等でも地元の医師会や歯科医師会と合同でセミナーを開催し意見交換が行われました。このような意図を持ったセミナー・講演会は、千葉県以外の全国各地でも開催され始めています。
②医学学会での宣伝活動
日本自閉症協会は日本小児神経学会、日本小児精神神経学会、日本児童青年精神医学会など、知的障害や自閉症に関心を持つ医師が多い学会で宣伝活動をしています。

3)障害児者の医療に関する研究
①日本発達障害者福祉連盟(旧・知的障害者福祉連盟)は1998年に知的障害の人たちの健康調査報告集「不平等な命」を発行するなど、調査・研究・教育活動を行っています。
②日本障害者歯科学会や日本小児歯科学会は、障害児者の歯の健康や治療に関心を持つ歯科医師の学会です。この分野の専門家の育成、質の向上に努めています。残念ながら、現時点で「障害者医科学会」はありません。今後、障害のある人が医療を受けることをテーマとした研究会、学会の設立が望まれます。
③日本小児神経学会、日本小児精神神経学会、日本児童青年精神医学会などでは、障害児者の医療についての諸問題がテーマとしてしばしば取り上げられます。
④自閉症カンファレンスNIPPON、TEACCHプログラム研究会、日本自閉症スペクトラム学会など自閉症に関する研究会では、病院受診に関する実践発表が行われています。 ⑤自閉症児者を家族に持つ医師・歯科医師の会 (afd :autism family doctor)は、2002年10月に自閉症児者の親である3人の医師が発起人となって立ち上げた会です。現在全国から約180名が参加し、医療に関する情報の集積を行っています。

Ⅲ 患者さんに知ってもらいたいこと(勤務医の立場から)
病院内において患者さんは一般的には弱い立場です。時として、医師等による、患者さんやその家族に対する暴言などのドクターハラスメントや、配慮に欠ける対応等が存在することは確かです。しかし、近年、医療機関や医師をとりまく状況は急速に厳しくなっており、医師も決して楽ではありません。

1)医師の時間的・精神的余裕の欠如
深刻なのは救急医療です。20年前、日本には救急医療を積極的に扱う病院や診療所が多数存在しましたが、急速に減少しています。産科、小児科のみならず、外科系の不足が深刻です。その結果、残っている救急医療機関に患者さんが集中します。患者さんを診ようと努力する医師ほど多忙になり、時間的・精神的余裕はどんどん無くなっています。
また、多くの病院では電子カルテの導入や、ISO取得等の経営管理体制の強化が推進されています。いずれも理念としては大切な意義を持っていると思いますが、診療自体を直接改善するわけではありません。多くの医師や看護師はパソコン画面を見ている時間が大幅に増え、患者さんと向き合う時間を削減せざるを得なくなっています。

2)社会福祉制度の不十分さが医療に悪い影響及ぼしています。
老人や障害のある人の社会的入院が問題となっている療養型の病床は削減され続けています。しかし、地域社会で暮らすことが困難な人に対して、現在の介護保険や自立支援法等の福祉制度は充分とは言い難く、退院が進みません。そのあおりを受けて、急性期病院のベッドも空かず、最終的に患者さん救急受診を受け入れに支障が生じています。
現場の医師は、救急患者さんを受け入れるためのベッドを確保するという使命を果たすために、クレーム覚悟で入院患者さんを強引に転院や退院させることもあります。逆に、自分が診ている患者さんだけには丁寧な対応を行う方針を取った場合、医師は患者さんの受診数を制限せざるを得なくなります。
「受診を拒否された」、「診察時間が短い」、「退院を強要された」といった状況が作り出されるのは、医療機関の困窮を表している場合が少なくありません。いうならば、患者さんに障害があろうが無かろうが、平等に生じている要素があります。このような状況を、障害があることに対する差別として捉えても解決に繋がりません。障害のある人の医療の改善の基盤として、全ての人の医療体制、そして取り囲む福祉体制の改善が必要なのです。

3)患者さんからの医療機関に対する不合理な要求が徐々に増加しています。
一般の人はマスコミから多くの知識を得ることが出来ます。しかし、マスコミに植え付けられた中途半端な医学的知識や不安に基づいて、不合理な要求をする患者さんが徐々に増えています。また、医療機関を24時間営業のコンビニのように利用しようとする患者さんが増えています。小児科受診数が、日中よりも夜間救急の方が多い病院まで出現しています。深夜に専門医の呼び出しや高度な精密検査を要求する患者さんも増え、医師の疲弊を助長しています。

4)医師は患者さんとの関係の中で、「良い医師」にも「悪い医師」にもなります。
マスコミは報道内容をわかりやすくするため、時として単純化して伝えようとする性質があります。テレビや新聞での医療に関する報道では医師や医療行政を一方的に批判する内容が多数あります。逆に売れっ子タレントのような医師を作り上げたり、新しい薬や治療法が万能であるかの如く過大に喧伝する番組や記事もあります。その結果として、一般の人に医療に対する極端に二分化した概念を植え付けることになります。例えば「良い病院と悪い病院」、「神のように手術がうまい医師と、下手でミスばかりする医師」、「僻地医療等に献身的に邁進する高潔な志を持った医師と、金儲けに走る堕落した医師」といった具合です。極端な表現は誤った知識を誘導し、医療に対する信頼感をおとしめる最大の原因の一つになっています。マスコミは、一般の人に正確に伝わるような丁寧かつバランスのとれた番組や記事を作って欲しいと思います。と同時に、視聴者である患者さんには番組や記事に対して冷静な判断をしていただきたいと思います。
医師と患者さんの関係の多くは良好だと思いますが、一部でうまくいかない場合があります。その原因は「一部の悪い医師」、もしくは「一部の悪い患者」にある、という見解があります。しかし、固定された一部の悪い医師、悪い患者という考え方は不的確だと思います。どんなに良い医師といわれる人でも、全ての患者さんを100%満足させることは出来ません。患者さんの事前の期待度が高い場合には、その分クレームが激しくなることすらあります。逆にひどい医師といわれる人にも、ファンになる患者さんが必ずいます。同じ医師でも時間的余裕があるときは丁寧な対応ができるが、余裕がないときにはできない場合もあります。どんな医師も、患者さんとのその時の関係や特定の状況の中で、「良い医師」にも「悪い医師」にもなりうるのです。

5)誰もが「被害者」にも「加害者」になりえます。
患者さんの中には、医師が最大限の努力をして治療をしても、結果が思い通りでないと、理不尽なクレームや暴言を繰り返す人がいます。また、「普通の患者さん」が突然「切れる」こともあります。責任感が強く、精神的にナイーブな医師、優しい医師ほど深く悩む傾向があります。私の周辺には、患者さんからの攻撃的クレームに耐えきれず、救急医療や外科などのリスクの高い仕事から身を引いた医師が多数存在します。患者さんが普通の医師をつぶすこともあるのです。患者さんも、自分が「被害者」になる事があるだけでなく、時と場合によっては「加害者」になるかもしれないという認識を持つことは、お互いに思いやりを持つこと、「共に暮らしやすい」社会を作るために大変重要と思います。

6)日本には手間のかかる患者さんを診るための医療制度がほとんどありません。
病院は現在の医療保険制度の中では経済効率を重要視せざるをえません。障害者歯科には保険点数上の加算の項目が存在しますが、医療分野にはありません。さらに、今後全国の病院では医療費の包括払い制度(DPC)の導入が進む見込みです。同じ病名の患者さんは病状が重くても軽くても病院の収入が同一になります。病院は病状の重い人を診れば診る程「損」になる可能性があり、敬遠されがちになる懸念があります。同様に、障害などのために手間がかかる人も敬遠されがちになる可能性があります。 また、現時点で日本病院評価機構などの第三者評価には、障害者医療の充実に関する評価項目はほとんど皆無です。障害者の医療に邁進しても誰も評価してくれません。障害者の医療に熱心にとりくむ医師は、ある意味でのボランティアのような精神を求められるだけでなく、病院内の迷惑者と見なされていることすらあります。障害者に対する医療を、病院の使命として職員間の共通理解とすることは容易なことではありません。

7)患者さんの応援が励みになります。
障害者の医療に熱心な病院に対する公的な社会的評価、経済的評価を高めていく仕組みが望まれますが、現実的には見通しが立っていません。これを乗り越えるためには、院長等病院幹部の熱意とリーダーシップ、そして、何よりも患者さんからの励ましと評価が大きな力になります。患者さんは医療機関での不十分な対応に目を向けるのみではなく、少しでも良かった対応を評価し、伸ばすように心掛けていただけるとありがたいと思います。

Ⅳ 相互の理解と思いやりに基づく話し合いの重要性
2003年10月に市川市で行われた医療セミナーでは、医師側が患者さんの辛さ知り、困難さを理解しようという姿勢を持ち、解決のためのバリアフリー策や支援システムの工夫を具体的に話し合ったことに第一の意義があったと思います。 さらに、自閉症や知的障害のある人と接する時、医師としてどうすればいいのか大変困惑しているとの報告があり、患者さん側が医師も困っていることを知ることができました。今後も患者さん側が医師の気持ちや医療機関がおかれている現状についての理解を深めていくことにより、現時点で何ができて何ができないのか、できないことを改善するためにはお互いに何をすればいいのかを、本音で話し合うことができるのではないかと思います。そのために、顔をつきあわせての話し合いの継続は、最も有効な方法と思います。市川市では医師会のリーダーシップの元、継続的に取り組みが続けられており、全国的に見ても極めて意義深く貴重であると思います。
知的障害や自閉症などコミュニケーションが困難な人への医療は、時として大変手間がかかります。しかし、1回このような手間をかけることにより、2回目以後、さらにその人の人生を通じてずっと安心して医療機関受診をすることができるようになることも稀ではありません。すべての患者さんに対してできるだけの医療を行うことは、医師等の医療従事係者が本来もっている志です。バリアフリーの具体的方策を追求することによって、お互いに満足できる診療を実現する道が広がります。
さらに、コミュニケーションが困難な人への配慮や工夫は、一般の幼児、高齢者、さらに認知症や高次脳機能障害、精神障害のある人、そしてすべての一般の患者さんに対する診療にも大いに役に立ちます。表面上の「問題行動」に目を捕らわれるのではなく、その水面下にどの様なバリアがあり、どの様に支援するかの具体策を考える。医療現場にとどまらず、本人にとっても周囲の人にとっても快適な楽しい地域生活社会をつくるために非常に重要なポイントであり、最終的にすべての人の幸福に繋がるものだと確信しています。


39 親として期待する早期発見と早期支援のあり方 大屋滋

教育と医学2011年1月号 教育と医学の会編集 慶応義塾大学出版会
はじめに
筆者は重度の知的障害と自閉症がある19才と16才の二人のこどもの父親です。脳神経外科の専門医であり、発達障害医療を仕事としているわけではありません。私の個人的体験や自閉症協会での活動、一般的な医療現場の視点を取り入れながら、親の立場から見た自閉症などの発達障害の早期発見・早期支援のあり方について述べたいと思います。
広い意味での発達障害は、先天的もしくは乳幼児期の発達時期に生じた精神身体の障害であり、精神発達に関わる知的障害や身体発達に関わる脳性麻痺等も含まれますが、本稿で特に断りなく「発達障害」と記載した場合は発達障害者支援法で定められた自閉症、ADHD、LDのことを指します。もちろん、「自閉症」には知的障害がある場合もない場合も含みます。
また、本稿での「専門家」とは、親の立場から見た専門家のことであり、自分のこどもを託した人のことです。教育、福祉、医療などに従事し、職業として発達障害児者と接している人のことを指しています。本雑誌の読者である教師、保育士等の仕事をされている方で、1人でも発達障害児を担当したことのある方は専門家に含まれます。

Ⅰ 専門家が見つけるべきものを見つけてちゃんと説明すること
1.「早期」とは
早期発見・早期支援の「早期」とはどのような意味なのでしょうか。一般の病院では病気の初期の段階で診断がつけば早期発見と言えると思います。人間ドックのように、本人に何の症状もなく、しかも治療可能な段階で診断されるのが一番の早期発見でしょう。たいていの場合は本人か周囲の人が何らかの症状を発見して病院受診し、専門家である医師が病気を発見し、診断することになりますが、自覚症状や他覚症状がまだ軽いうちに速やかに診断がついた場合も、本人にとっては早期発見と言えるかもしれません。
幼少期の発達に関してはどうなのでしょうか。障害の種類や程度によって、早期の意味合いが異なっていると思います。先天的な病気であれば、生まれてから出来るだけ早い時期に診断がつくことが早期発見と言えるでしょう。染色体異常、遺伝子病、胎児水頭症等では出生前に超音波検査や血液検査などで診断がついていることもあります。これらの病気や周産期の仮死等は、全身の身体的な問題のみならず、進行性に精神発達の障害を生じることが多いので、出生直後までには診断がついて治療を始めることが「早期」と言えるでしょう。 多くの重度知的障害や自閉症のこどもは、しばしば1才未満の乳児期にすでにその徴候が現れており、1才半頃までに家族や専門家が発見すれば早期と言えるでしょう。軽度の知的障害や自閉症の場合は、3才頃にはある程度発見できるのではないでしょうか。アスペルガー症候群、ADHD、LDはさらに時期が遅れることになると思いますが、就学時は一つの契機になります。
上記の時期よりもさらに早期に、MRIなどの放射線学的検査や遺伝子検査などで早期診断しようという試みもありますが、それでも行動観察などが診断の主要な基準となります。その意味では、親や関係者がこどもの行動の異常に気づいて専門家に相談してから、時間をかけずに速やかに対応が始まった場合も、親から見ると早期発見と言えるのではないでしょうか。
2.健診(乳幼児健康診査)
日本には健診(乳幼児健康診査)制度があり、全国の市町村がいわゆる1歳半と3歳児の健診を行っています。一部の市町村には5歳児健診もあります。一般の医療における人間ドックを、すべてのこどもに保証しているような制度であり、本人にとっても親にとっても早期発見のための最も有意義な制度だと思います。ただ、そのチェック項目が多岐に渡り、精神発達はその一つに過ぎず、数年前まで知的障害に関わる健診項目はあっても、自閉症を捉えようとする項目のない市町村が多数存在していました。平成17年に施行された発達障害者支援法で市町村が早期発見に十分留意することとされ、以後健診内容もかなり改善されてきていますが、まだまだ熱意の格差が大きいようです。健診で発達障害が疑わしいこどもをやや広めにスクリーニングし、親に心理的な負担をかけないように配慮しつつ慎重に経過を見ていくシステムを充実させて欲しいと思います。
発見しようとする姿勢の格差は、的確な対応しようとする姿勢、支援体制にも大きな格差を生むと推定されます。診断から早期療育まで一貫した体制が構築されている地域もあれば、診断ができても次につなげる公的・私的な療育機関、サービスが乏しい地域もあります。療育体制が整っている方が、障害告知のショックから少しでもソフトにランディングすることが可能となり、早期発見の意義が高まります。
3.教育・保育を仕事としている人に期待すること
教育や保育に従事している方の中には、自分は自閉症の知識が乏しいので専門家ではないと思っている方がいらっしゃるかもしれませんが、親から見ると自分のこどもに接する職業人は全員専門家です。もちろん、その程度は様々であり、自閉症に詳しい方もそうでない方もいると思いますが、全く分からないというのでは困ります。病院では医師は自分の得意分野でなくてもほとんどの病気に関して少なくとも素人である患者さんよりは基礎知識を持っています。知らない場合にはすぐ調べますし、自分で対応困難な場合は知識と経験を持った医師に教えてもらうことになります。教師や保育士の皆さんは、せっかく早期に発見された幼少の発達障害児を持つ若い親に最低限の説明が出来る程度には、自閉症に関する知識を持っていただきたいと思います。その上で必要に応じてより高度の専門的知識と経験を持った人に教えを請うべきです。
4.発達障害専門医師に期待すること
最終的に自閉症やADHDの診断を下すのは医師です。すべての発達障害のこどもに診断が必要とは思いませんが、少なくとも自閉症のこどもには診断は必須だと思いますし、早期の方が望ましいと思います。どのような方法で告知するかは別問題として、診察した医師が発達障害を診断できない、診断しない、告知しない、または診断を間違えることは、本人の障害特性の理解が遅れ種々の困難な状況に対する支援が遅れるという点で、本人にとっても家族にとっても大きな不利益となります。

Ⅱ 専門家が親を受容すること
1.親の心情と障害の受容
自閉症のある子どもの親多くは、幼少期から何らかの異常に気付き、なぜ自分の子どもの成長や行動が普通の子どもと違うのかという疑問や漠然とした不安を経験します。ダウン症などと違い、自閉症の場合の多くは真綿で首を絞められるように徐々に不安が高まってきます。最終的に障害の存在が確実になると大きなショックを受けます。こどもの障害に対する親の受容の程度や段階は様々です。そんなはずはないと否認したり、期待と違う生活状況の中で悲嘆、絶望にくれている親もいます。将来他人に迷惑をかけるのではないか、一人で生活していけないのではないかと心配している親もいます。
診断告知はショックを与えますが、診断が遅い場合はそれまでの疑問が解明されて、同時に安堵感を感じる場合もあるようです。逆に、親の気づきが少ない時点で早期に診断された場合、納得に時間がかかる場合もあるようです。
いずれにせよ、親のネガティブな感情はいつかピークを越えます。こどもがそれなりに成長し、障害があっても本人自身に生き甲斐があることに気づき、日々の生活を過ごすことに幸せを感じながら、少しずつ楽しみが増え、こどもの障害を受容できるようになることが多いです。但し一度受容すればもう大丈夫というわけではなく、ちょっとしたきっかけでショックや絶望は繰り返し襲ってきます。
2.親の経験への共感と受容 
親はわが子の障害に対する受容がどのような段階にあっても、発達障害に関する知識がどの程度であっても、専門家に対して何か得るものを欲しています。診断や具体的なアドバイスが欲しい場合もありますし、慰めや安心が欲しい場合もあります。専門家は、親の受容段階や要望を推察し、それに合わせた説明を行うように努めることが大切です。たとえ的確な助言を与えることができない場合でも、少なくとも親の心の傷を拡げることだけは避けなければなりません。
親が受容に至る道は平坦な一方通行ではありません。100%受容している親は滅多におらず、1%も受容していない親もいません。親がそれなりに落ち着いている状況であっても、逆に拒否的であったり、一見不合理な選択をしているとしても、専門家は親の辛い過程があることを充分に認識する必要があります。専門家は自分の価値観を一方的に押しつけることは慎むべきです。言い換えると、専門家が親の過去から現在の親の思いをしっかりと想像し、その経験や心情に共感を持ち、親の立場を受容することから始めなければなければなりません。

Ⅲ 専門家が自分勝手でなく、本人のためになる働きかけをすること
1.早期発見、早期支援の意義
教育は文字通り「教え育む」ことであり、一生涯続くプロセスです。どのような教育機関においても、できるだけ一般のこども達と同様の参加が実現され、一人一人の障害の特性に合わせた、バリアフリーの配慮が行き届いた教育がなされることが大切です。障害の程度が重くても軽くても、本人の特性や個性に合わせた環境の配慮やコミュニケーションの支援が行われ、本人が自分の置かれた状況を理解し、できるだけ自分の力で行動の選択を行う。そのことによって、周囲の人との関係や社会の仕組みやしきたりを学ぶ力を養うとともに、自尊感情のある生活態度を育むことができるようになります。そのスタートは遅いよりも早いほうが望ましく、幼少期の療育機関、幼稚園、保育園で早期に支援を開始することは大きな意味があります。
2.基本的な対応姿勢
発達障害のこどもやその親と接する場合に、優しい態度、寄り添う姿勢は、基本として重要です。確かに、混乱状態の親に冷静に対応することは困難な場合もあるかもしれません。それでも専門家として自信と明るさを失わないことが大切です。専門家は少しでも自分の間口を広く、引き出しを多くして、いろいろな説明方法を用意しておくことが必要になります。
自閉症などの発達障害は、一般社会ではその障害の存在自体がまだまだ認知されていません。偏った経験に基づいて誤った情報を垂れ流す専門家、独りよがりな学説を喧伝する研究者などが蔓延っています。親の育て方が悪くて自閉症になるとか、テレビの見過ぎやゲームのやりすぎが発達障害の原因である等と高言する記事や報道が未だに多数見受けられます。もちろん、親の養育態度、家庭環境、過剰な刺激などが子どもの成長に関連することには異論はありませんが、一部の学者や教育家は自説を強調しすぎることにより、社会一般の人がどのように受け止めるのか、教育にどのように影響するのかという点についての配慮を著しく欠いています。その結果、自閉症や発達障害の人達への真の理解が妨げられ、親の周囲には無理解や誤解が満ちあふれ、本人や家族を激しく苦しめることになります。日本の現状では、発達障害は基本的には先天的に存在する脳の機能障害に起因していて、親のせいではないことを強調すべきであろうと思います。
3.治療、教育と倫理
過去に何度も自閉症の特効薬とか画期的な治療と称する方法が発表され、マスコミやインターネットにより爆発的に広がる現象が生じ、そのたびに親が殺到してきました。近年も、重金属中毒や脳神経外科的手術をめぐる報道により発達障害児の親が混乱に陥りました。対象や効果が明確でない、もしくは限定的である可能性が高い方法を、あたかも治癒する治療法であるかのように喧伝することは許されません。普通の病気においても、特定の名医や特定の人や特定の治療法によって、すべてのものが治せるとするような幻想をマスコミが振りまいて、適確は治療を妨げる要因になっています。治せる病気は、ある程度の知識と経験を持った医師なら誰でも治せるし、逆に治せない病気は誰にも治せません。大切なのは、治せる病気、治せる部分をちゃんと治すことです。
発達障害も同様です。専門家は高い倫理観を持ち、親に対して正確な知識を伝え、やるべき有効な具体策を共に考え続けることにより、本人を危険に晒すことを防止しなければなりません。
4.障害のバリアフリーに基づいた本人支援
専門家が本人に寄り添う、本人の立場に立つ、本人の障害を受け入れることはとても大切です。その日その日が充実しており、楽しく過ごすことも大切です。ただ、そのことをお題目にしているだけでは不十分です。「あるがまま」ということばを悪用して、何もしないのは怠慢です。専門家が自分の過去の成功経験のみに頼ったアドバイスしかできないとか、精神論のみを親の強要するのも非常に危険です。たとえ悪意がなくても誤った方法しか知らないのは大問題です。
せっかく早期発見したのなら、こどもがどのようなところでつまずいているのか、何が苦手でなにが得意なのか、何が好きなのか、一人一人の特性を評価すると共に周囲の環境との相互関係を的確に評価した上で具体的にどのような配慮やバリアフリー策が必要なのかを探し出すことが重要です。我が子に対する具体的支援策があることこそが、親や家族にとっても最大の支援となり安心と喜びを生みます。
5.将来を見通した療育 
親は、こどもが大人になってはじめてわかることがたくさんあります。初めての子育てなのですから、幼少期には気付かないことがあるのは仕方ありません。こどもに出来ないことが多いと、どうしても沢山のことを無理強いしてでもやらせようとしてしまいがちです。時にはしつけと称して、体罰に至ることもあるかもしれません。無理の悪影響が後年になって現れてくることも少なくありません。専門家はこどもがその年代年代でやるべきこと、やるべき量、優先順位等を考える必要があります。早期発見したからといって、やらせすぎは副作用になりかねません。

Ⅳ 専門家が次につなげること
1.小学校につなげる
幼少期の療育機関、幼稚園、保育園から、小学校への情報の移行はとても重要です。個人情報保護が一つの足かせになることがありますが、親はこどもにとって本当に信頼された有意義な情報は、関係者に広く共有してもらいたいと願っています。
2.社会への啓発
自閉症などの発達障害は、わかりにくいことにより偏見が生じたり、差別が生じることになってしまいがちです。結果的に、社会に参加できなくなったり、二次的な障害が生じることになります。発達障害に関連した虐待、いじめ、不登校などの残念なニュースが多く報道されていますが、これらの多くは周囲の人の発達障害に対する理解の不足が引き起こした現象と推定されます。早期から地域の人たちとの具体的な相互理解を深めることにより、社会における自閉症や知的障害のバリアフリーを推進すれば、そのこどもの権利擁護を推進する大きな力となります。
3.研究の意義
親はこどもの社会生活に役に立つ研究や、精神医学や脳科学に関する研究に大いなる期待を持っています。健診においても教育機関においても、専門家は自分の関わったこどもの実態をしっかりと記録に残して共有することにより、支援に結びつく研究に貢献することが出来ます。データに基づいて、母子保健、教育、福祉、医療行政への働きかけることも大切です。
4.当事者の会、親の会
当事者や関係者が参加している自閉症協会等の発達障害の団体があります。これらの団体は発達障害児者の支援のための活動を行っています。会員にはいろいろな程度の障害を持った、幼少期から大人まで各年代の人がいます。専門家はこれらの会に積極的に関与することにより、早期発見の意義を認識する手がかりを得ることが出来ると思います。
最後に 現在も将来も、子どもがその人らしく、安心して暮らせることが親の願いです。早期発見、早期支援がそれを推進してくれることを期待しています。


43 提言 社会的な関係を築くために学校教育に期待すること 大屋滋

特別支援教育研究 2012年6月号 特集 自閉症児のコミュニケーション支援―理解し合うために― 東洋館出版社

はじめに
一人の自閉症児には、両親や家族をはじめとして多くの人がかかわっている。その中で、職業としてかかわる、医師などの医療関係者、早期療育の担当者、教師の働きは重要である。特に、十数年間の学齢期を担う教師は、その後数十年間に渡る成人期の生活の質に大きな影響を与える。

1.特別支援教育の目的と社会的関係を築くための基本方略
特別支援教育については、これまで多くの意見と議論が行われてきた。生徒一人一人の教育ニーズについても、それこそ教師一人一人によって考え方に相違があるかもしれない。言葉の定義や概念はともかく、当事者の立場から言うと、特別支援教育の最終的な目的はインクルージョン、それも地域社会へのインクルージョンにある。
自閉症児の場合、本人が安心して教育をうける環境を保証されるという点からも、教師が知識と経験を蓄積できるという点からも、特別支援学校には存在意義がある。しかし、地域社会からやや隔離されていることは否めない。一般の生徒とのかかわりや地域の人との交流という点では、特別支援学校より、特別支援学級、さらに通常の学級の方が有利である。
地域社会へのインクルージョンが明確な目的であるなら、その基本的方略も明確になる。特別支援学校であるからこそ、より積極的に地域社会に出て、教育の場とすべきである。幼少期には、本人の特性や能力に合わせてボトムアップを狙った学習が主体になるかもしれないが、10歳頃にはその能力にある程度の見通しがつく。能力がついてから地域に出ていくのではなく、足りない部分を補いながら社会参加を達成するトップダウンの考え方に基づいた方策、言い換えればバリアフリー策が必要となる。

2.地域社会の人に対して
「心のバリアフリー」は重要である。しかし、地域の人たちに自閉症児のどんな行動でも無条件に受け入れろと強要することはできない。自閉症児は、問題行動と言われる行為をしばしば起こす。自閉症の特性自体が問題なのではなく、その特性に対する配慮が不十分なために、周囲の人とのかかわりや社会生活で困っている状態が問題行動につながることが多いと言われている。自閉症児のあるがままを受け入れるとは、何もわからず受け入れることではなく、本人の困り具合を理解する知識やそれに対する具体的方法を試しながら受け入れること、言い換えれば自閉症のバリアフリーの積み重ねである。

3.社会的関係を築くための具体的方略
1)わかりあえるコミュニケーションを 
教育関係の学会などで、自閉症児に聞く訓練・話す訓練をするのと絵カードやコミュニケーションツールを使うのはどちらが適切かという論争をしばしば耳にすることがある。コミュニケーションのバリアフリーという目的からは、その時点で本人がわかりやすい方法、及び、本人が自分の意思を周囲の人にわかるように伝えられる方法を活用することが適切である。その時点で話し言葉では正確にやり取りができないなら、そして絵カードの方がより正確にやり取りできるなら、躊躇なく絵カードを使うべきである。もちろん、簡単な話し言葉の学習、特に挨拶や自己紹介といったスキルは、社会での慣わしとして身に着けている方が望ましいが、お互いが本当に分かり合えるためのコミュニケーションが極めて重要である。
2)社会性に関して
しばしば、学校内では、特定の教師にのみとしか付き合えないという状況が生まれる。本人にとって安心できる頼りになる教師がいることは大切なことであるが、他の教師とはコミュニケーションができにくいなら、改善が必要である。誰とでも通じるコミュニケーションの方法と機会を作っていくべきである。
自閉症児にとって周囲の人の気持ちや意向を察知して行動することは最も苦手なことである。共感する能力を高めることは望ましいが、大切なのは人間を好きになることである。そのためには、自閉症児を決して無視することなく、適切な対応を積み重ねていくことが大切である。例えば、地域で買い物学習をする場合、事前に店員に本人の身に着けているコミュニケーションの方法を理解してもらい、買い物が成功するように配慮してもらうと同時に、できるだけ通常の客と同じ言葉遣いや対応をしてもらう。その店のすべての店員に同じように対応してもらう。本人が働きかけるとそれにみんなが普通に答えてくれる。その成功体験が人間を好きになる大きなステップになる。
3)知的に高い自閉症児とソーシャルスキル
ある程度知的に高い自閉症児の場合、地域社会の文化、しきたり、決まりごとが身についている方が望ましいことは確かである。特定の場面でうまく立ち回る対人スキルを身に着けることも役には立つが、より根本的な社会の決まりから外れないようにすることが大切である。本人の本来の意思に反していたとしても、他人を傷つけたり、嘘をついたり、他人の物を勝手に使ったりする状況に陥らないように、そして、被害者にならないように、日頃から本人への指導とともに、周囲にいる人を含めてしっかりと見守ることが必要である。
4)こだわりと好きなこと
自閉症児はしばしば強いこだわりを持っている。趣味を達成するために熱中したり、仕事をきちんとやるのは、よいこだわりと言える。しかし、こだわりの中には、強迫的に、やりたくてやっているのではない、やめたくてもやめられないこともある。スケジュールを明確にすることにより終わりを決めてあげることが非常に重要なことがある。一番大切なのは、本人が本当に好きなもの、好きなことを見つけることである。そのために、学校にはいろいろな経験をするための、時間、場所、人材が豊富に存在している。
5)ワークシステムと自己選択 自閉症児が本人に合ったワークシステムを得て、特定の教師がそばについていなくても自分一人で作業を達成し、どこで仕事が終わり、終わったら次にどうするのか理解できることは本人の自立を高めることに大変に役立つ。そのワークシステムを持参して、卒後に向けた現場実習を行い、場所が変わっても、特定の支援者、教員がいなくても同じシステムで活動できるようになることは、本人の自己肯定感をはぐくむとともに、選択を広げることにつながる。 4.地域社会が教育の場
理念や方略も大切だが、実践しなければ意味がない。自閉症児は、説明だけで想像して理解することは困難であり、実際の社会経験をすることによってはじめて理解が深まる。しかし、経験の機会、特に成功体験が圧倒的に少ないまま、準備不足で卒業を迎えることになりやすい。学校外に出る機会をできるだけ増やすことが望ましい。居住地を含めた他の学校との交流、会社・作業所実習のみならず、いろいろな店での買い物、遊戯施設、理髪店・美容室、病院・歯科医院3)などは長い人生で重要な社会体験である。 学校内での事前の準備、視察、ミーティング、親や関係者との情報共有、こまめな支援教育方法の修正、結果の評価等、手間と時間がかかるかもしれないが、本人の人生の財産を作る作業である。自閉症児は失敗体験からポジティブに学ぶことは困難である。いろいろな場での成功体験を蓄積することが、将来の選択肢を広げ、真の自己決定を実現することにつながる。

5.一人ひとりの教育計画と管理職の責務
ともすれば、学校では全体行事優先になりがちであるが、個別の交流学習、職場実習、日頃の街中での学習は、運動会などに勝るとも劣らない重要な教育イベントであり、社会的関係を築くための最優先課題である。より多くの教師のマンパワー、教師個人の使う時間や努力を、校外の学習に使って欲しい。それを可能にするために、管理職は行政とも協力して、意義の少ない会議や書類などの仕事を減らすように最大限の努力をするべきである。同時に、リスクを過度に心配したり、親の理解不足、個人情報保護を言い訳にして地域社会に出ていくことを妨げることがあってはならない。学校は一人ひとりの教育計画を作成するに際して、親と本人の希望を尊重するとともに、社会に出していくことの意義についてしっかりと説明し不安を解消しなければならない。
まとめ
社会的関係を深めるためのみならず、自閉症児の将来にとって地域社会を現場とした教育を大幅に増やすことが必要である。自閉症児のあるがままを受け入れるとは、もちろん放置することではない、それは分かっていても結果的に教育の機会を十分に与えないことに陥っていないか。本人に対しても地域社会に対してもバリアフリーの努力を行い、その結果としての今のあるがままを見つめ、さらに未来を目指して少しずつ本人の自己実現をサポートしていくのが、教育者の役目である。


47 強度行動障害に関する研究、研修の課題について 大屋滋

平成25年度強度行動障害支援者養成研修研究検討委員会報告書 独立行政法人国立重度障害者総合施設のぞみの園

家族の立場と袖ヶ浦福祉センターの強度行動障害支援事業に関わった経験に基づいて、課題について列挙したい。
強度行動障害という名称
強度行動障害はいろいろな精神的素因に基づいて生じているが、現実として自閉症の人が多いことは確かなようである。近年啓発が進み、自閉症の人の社会生活上の困難さを本人の責任に帰すのではなく、周囲からの支援や環境調整の必要性が認識されるようになってきた。しかし、本人を支援し保護するという理想を掲げても、強度行動障害という名称には周囲の人にとって困った行動とのイメージが強く、その支援とは周囲の人の利益を保護するという意味を包含している。そして、一般的な支援とは違う、一部の特殊な支援として捉えられやすい。
障害者福祉の分野では、行動援護や強度行動障害支援の研修が全国的に行われるようになってきたが、受講者には特殊な障害者向けの知識としてではなく、日常的にかかわっているすべての人の支援に必要であることを理解してもらうことが重要である。
2.おとなしい行動障害
自閉症の人も含めて、人が不本意な環境や境遇に、反復的、持続的にさらされた場合、二次的に陥る状況として、大きく分けて二つのパターンがあるように思う。一つは暴れたり、いわゆる問題行動を起こし、周囲の人を困らせる場合。もう一つは何も言わなくなり、何もしなくなり、時として周囲の人から放置されやすい場合。行政上の強度行動障害の基準は明らかに前者を対象としている。本人への支援が必要という点では後者も非常に重要であり、その支援原則の多くは共通している。研修を通じて、おとなしい自閉症の人にも十分に注意と配慮しなければならないことを認識してもらうことが重要である。

3.支援者の安定と情報共有
研修を修了した福祉職員が強度行動障害の人の支援を始めると、環境調整、構造化、適切なコミュニケーション方法等により比較的早期に改善する人がいる反面、いろいろな支援の工夫を巡らせても一向に改善しない場合がある。一生懸命に努力している支援者ほど、自分の知識や技術の不足に悩むことになりかねない。処遇の場所が閉鎖的で、関係者全員が排他的な状況に陥ると、熱心さゆえの行き詰まりから暴力などの反動的な行動に至る場合や、職を投げ出す場合がある。最近個人情報保護を言い訳にして、情報を隠す風潮が広がっている。本人にとって最良の道を検討し、支援者にとっても安定した支援を続けられるように、家族や外部の支援者を含めた情報の共有と相談は必須である。

4.学齢期の重要性
行動障害は、成人期に増大した場合でも、幼少期、学齢期、思春期に始まっていることが少なくない。学校という場所は、空間的に安全で広いスペースがあり、教室、体育館、作業室、食堂、グラウンドなど目的別にわかりやすい構造になっている。時間的にもある程度明確なスケジュールが作られており、さらに人的資源も多い。生徒は卒業後により厳しい環境に置かれる場合が多い。教育関係者にとって、その恵まれた状況を生かして、卒業後も楽しく有意義な生活を送れるように準備をすることが最重要な使命である。強度行動障害に関する研修を受けることは、学齢期の自閉症支援の重要性、そしてそれが行われないために行動障害が悪化した場合の責任を自覚することに大きな効果が見込まれる。その意味で、教育行政とともに教員の研修受講を促進するシステムを構築することは、強度行動障害対策として最も有効かつ本質的なストラテジーだと考える。


51 わたしと特別支援教育 学校に期待する4つのこと 大屋滋

特別支援教育の実践情報 2016年6/7月号 No.172 明治図書

我が家には重い知的障害と自閉症がある長男と長女がいます。二人とも小学校の特別支援学級、特別支援学校中学部・高等部で学び、卒業後、福祉施設に通っています。12年間の学校生活が終わり既に数年経過しました。おそらくこれから数十年の人生があると思いますが、自分らしく楽しい生活を過ごしてほしいと願っています。少しでも自己実現を達成するために、学校に期待することを4つの階層に分けて考えてみます。

1 まず基盤として、生理的な安定
病気がある場合には、治療が必要ですが、健康状態が保たれると同時に、本人の睡眠、食事、排泄など生理的な要求が、安定した日課の中で満たされていることが大切です。時として医療との連携は大切ですが、精神や行動を落ち着かせる薬を使うとしても、あくまで生活や学習の基盤整備を助けるにすぎません。家庭と協力して、本人なりの日々の教育を実践するのは教師の仕事です。
2 次に、安全と安心
みんなと一緒に過ごす、仲間がいることは誰にとっても必要なことです。それを実現するためには、まず安全な場所であること、本人に無理のないように、安心していられることです。みんなと同じ場所で同じ活動をすることも大事ですが、それ以上に個人個人が安心して気持ちよく過ごせることは、特に自閉症の子どもにとっては最重要課題です。
本人が安心できるためには何が必要か。一つはコミュニケーション、本人にわかりやすく伝え、本人からわかりやすく伝えてもらうことです。話し言葉のみでわからせようとするのではなく、構造化の工夫が必要な場合があります。自閉症の人は、時間にしても空間にしても、自分のおかれた状況や見通しを理解することが大きな安心につながります。安心ができないと不適切行動を引き起こすこともあります。構造化という言葉に拒否感を感じる教師もいらっしゃるようですが、実は、学校は時間割も教室も極めて構造化された場です。その構造化を生徒全員一律ではなく、一人一人に合わせて実践するためにはどうするかを考えるだけのことです。
もう一つ、感覚過敏や不安への配慮。本人の辛さは、一般の人の想像をはるかに超えたレベルものであり、できる限りの配慮が必要です。我が家の長女は大変に過敏な子どもでした。小学校低学年の頃は、登校しても、教室の前で固まってしまいなかなか入れない。1年生の運動会では、その騒音、特にピストルの音に怯えて泣いていました。運動会自体は大好きだけど不安でグランドにいられない。その様子を見ていると、音がうるさいというよりも「痛い」と感じているようでした。担任教師の翌年からの配慮は素晴らしいもので、本人は出番以外は離れた教室で休み、落ち着いたら自分の競技やダンスに登場。しかもピストルを笛に変えていただいたおかげで安心して大好きな運動会を楽しむことができました。運動会以外の多くの場面でも、様々な適切な配慮の積み重ねをしていただき、高学年になると通常学級でみんなとともに過ごす時間が増え、卒業式では立派にクラスの一員となっていました。

3 楽しめることの幅を広げる
我が家の二人は、毎日福祉施設で仕事しています。長男は極めてこだわりが強く、興味の対象が限定的。シール貼りのような比較的単調な作業が好みですが、休憩時間には文字や数字を書いたり見たりするのが大好きです。授業参観の時にも、全員一緒の活動をするよりも、生徒の能力や好みに合わせて文字を書いたり、数を数えるといった算数や国語の学習のほうがずっと生き生きとしていました。
長女は、運動会のおかげで、今でも歌ったり踊ったりすることが大好きです。小学校の授業では、美容室で髪を切るとか、商店街で買い物をするとか、いくつもの社会的経験学習もしていただきました。
はたから見て趣味や余暇といえるほどのレベルでなくても、普通の人にとって当たり前のことであっても、本人が楽しめることを見つけるのは大変重要であり、幅を広げるためのいろいろな体験をしてほしいと思います。

4 そして、自己決定の機会を増やす
障害があっても、自分の天職、例えば芸術活動などに熱中できる人は、自己実現を達成したといえるかもしれません。しかしそのような大仰なことだけでなく、日々の生活の中でちょっとしたことを自分で決めることも立派な自己実現といえると思います。
重い障害のある人は自分で選択する経験が乏しい人が多いようです。知的障害により話し言葉では意思を伝えることができない、自閉症のためコミュニケーションが自分勝手で相手の立場になって伝えるのが苦手。知的障害のある自閉症児は両方重複しています。そのような理由で、例えば休みの日に出かける場合も、自分で決める機会を与えられず、周囲の人が本人の意向を勝手に推定して決めてしまうことも多い。本人の本当の意思とは違っていることも少なくないはずです。
学校においては、自己決定のための教育の機会をたくさん作ってほしいと思います。まずはいろいろな体験をすること、その上で本人にわかるような選択肢を用意し、本人ができる方法で意思を伝えてもらう。自分で選択する経験を積み、自分のことを自分で決める習慣を身につける。それは、障害のある人の人生において決定的に重要な財産になります。
長い人生の中で少しでも自己実現を達成するために、すべての子どもが学校で貴重な12年間を過ごすことを強く期待しています。


52 当事者家族が臨床心理専門職にわかっていてほしいこと  大屋滋

必携 発達障害支援ハンドブック 下山晴彦、村瀬嘉代子、森岡正芳編著 金剛出版 2016年

はじめに
私には重度の知的障害と自閉症のある2人の子どもがおり、現在は成人し家族とともに暮らしている。幼少期から、医師、教師、心理、福祉などの様々な発達障害の専門家と接する機会があった。専門家に望むことを一言で言えば、親に対する支援以上に、本人の支援、障害の困難さとそのバリアフリーを理解した上で、現在および将来の生活に役に立つ仕事をして欲しいということである。
1.親の抱える問題
子どもの年齢によって、私が親として抱える問題点は変遷し、専門家、特に心理専門職に期待することも変化してきた。 幼少期は、同年代の他の子どもと比べての言葉や発達の遅れ、理解不能な行動の数々、親や周囲の人との関わりの難しさなどによって、混乱状態になっていた。得も言われぬ不安や解決できない焦燥感で、出口のない精神状態に陥っていた。この時期には寄り添いや共感、悩みを聞いてもらうことが必要だった。
入学前には学校選びに大きな決断と覚悟が求められた。学齢期から思春期には周囲の人たちとの軋轢に悩まされ、卒業後の不安が徐々に高まっていた。子どもの障害とそれに伴う問題行動を理解し、受け入れてくれる人を求めていた。
成人になり福祉施設に通所するようになってからは、見通しのない漠然とした不安は少なくなったが、現在、将来の生活を考えて何が必要なのかに思い悩むことには変わりない。
2.成人期の障害福祉
障害のある人の人生で最も長い時間を過ごすのは、幼少期・学齢期ではなく、卒業後・成人期である。心理専門職は、教育、医療、保健、司法、労働、学術など様々な場面で活躍しているが、当事者や親にとって福祉は最も重要な領域の一つである。
現代の日本の障害福祉支援の枠組みは、サービス事業本体のみならず、相談支援と権利擁護を加えた三本柱を軸としている。
障害福祉サービス事業には、生活介護や就労支援などの日中活動、移動支援やホームヘルプなどの生活の支援、グループホーム、入所施設などの住まいの提供などがある。これらの現場では、定型的なサービスを提供するのみでは不十分であり、一人一人の障害の特性に合わせた支援が必要である。身体障害の人の場合、その生活の困難さは一般の支援職員にとっても想像がつきやすく、施設全体や個人のバリアフリーの方法も多く存在している。しかし、発達障害の人の場合、その生活の困難さ、バリアフリーの必要性は容易に理解されない。対応方法があった場合も画一的ではなく、一人一人、場面場面で個別の方法が必要なことが多い。心理専門職は発達障害について最も深く理解している専門家であり、福祉職員と連携して発達障害者のより良い支援サービスを作るための重要な役割を担うことが望まれる。
相談支援では、本人のアセスメント、ニーズ把握に基づき、ケアマネジメント、サービス利用計画の作成を行う。権利擁護の一つの形である成年後見制度では、身上監護や金銭の管理を行う。いずれにおいても、当事者本人が理解できる選択肢を用意し、本人の最も望むに生活の組み立てを、できるだけ自分で判断し意思を表明できるように支援しなければならない。心理専門職は当事者独自の個別、固有な特徴を明らかにし、意思決定のバリアフリー方法を探り、二次的な心の問題も含めた援助を行うことが期待される。
幼少期・学齢期をふりかえると
種々の心理テストや観察面接を通じてのアセスメントは、臨床心理士のもっとも重要な専門業務の一つである。幼少期に子どもの発達に悩む親にとって、適確な評価と、それに基づいた診断は極めて重要であり、子どもについての説明に納得できるだけで心の安らぎを得る親も多い。臨床心理面接を通じて、クライエントとの人間関係が構築される過程での共感といった心情も貴重である。
しかしもっとも重要なのは、発達障害を持つ本人を適確にアセスメントし、それに基づいて療育や支援を行うことである。さまざまな臨床心理学的技法の中には、その目的にかなっているとは言えないものもある。幼少期、学齢期を担当する臨床心理士の障害理解やアドバイスが不適切な場合、その人柄、熱意、責任感が優れていることを理由に親の信頼が大きい場合ほど、子どもの長い人生におけるマイナスの影響力は大きくなる可能性がある。自分の技法を押し付けるのではなく、将来を見通して本人にとって本当に意味のある支援を柔軟に考え続けなければならない。そのためには、成人期の発達障害の人の生活についての知識をしっかりと理解しておく必要がある。
何ができて何ができにくいのか評価し、将来を見通してどのようなバリアフリーが必要かを考える。成人になって社会で生活し、自分のことをできるだけ自分で決定しながら充実した人生を送るために、幼少期・学齢期に何を行うのが適切なのかアドバイスする。そのことが長い人生のなかで本人が本人らしく生きていくためのもっとも重要な基盤となり、親や当事者本人からの人生を通じた信頼を得ることになる。
4.職業倫理
調査・研究も心理専門職の大切な専門業務の一つである。しかし、最初から自らの理論に基づいた結論を強引に導き出すような非論理的な論文や発表、さらには、一般社会の人たちの発達障害に対する無理解を助長するようなマスコミへの喧伝は慎むべきである。
医師や教師、保育園、幼稚園、学校、福祉施設、行政などの他機関との連携、コンサルテーション活動も重要である。心理専門職は、発達障害、自閉症を最も理解し援助の道筋を作るための中心的存在になることができる。もちろん個人情報保護は重要だが、それにとらわれすぎる、もしくは言い訳にして、関係者間との情報共有に後ろ向きの姿勢を取るべきではない。親や本人へのインフォームドコンセントのもと、適切な情報共有を行うことこそが本人の生活を豊かにする。
最後に
発達障害当事者本人の障害特性や個性を理解し、多種多様な価値観を尊重し、その人に自己実現を手伝うために、多くの職種が連携しなければならない。発達障害の知識と当事者の立場に立った視点が必須であり、本人の現在と人生全体のための支援を模索し実践していく必要がある。その目的を実現するために、人生スパンの最初で最大の協力者が親であり、心理専門職は指導的役割を果たす専門家であると私は考えている。


千葉県自閉症協会広報誌 みち

新年の挨拶 2014 会長 大屋滋  みち84号
  新年あけましておめでとうございます。
それぞれのご家庭でいろいろな形で新しい年をお迎えになったことと思います。我が家では私と妻と自閉症の息子と娘が一緒に自宅で正月を過ごしました。元旦の日、一年最初の朝食で、大変めでたいことがありました。4人そろって食卓に座って、一緒にお雑煮を食べたことです。息子が生まれて22年間でまさに初めてのことでした。
私はもちろん毎年雑煮を食べておりましたが、息子は偏食が激しく、いくら用意しても餅自体を食べませんでした。それでも日頃から餅を食べる機会を作っていたところ、昨年からカリカリに焼いた餅の表面の部分を食べるようになり、今年の1月1日、お汁に入れた餅を人生で初めて食べたのでした。
また、昨年秋からは自宅で4人一緒に座って食事すること自体ができませんでした。娘が絶不調でドアの開け閉めなどの儀式的な繰り返し行動がとても多くなり、新しい動作に移るまでものすごく時間がかかるようになりました。夕食の準備ができてから、テーブルに着くまで2時間、食べ終わるのに2時間、お風呂に入るまで2時間、床に就くまで2時間といった具合で、一緒に食事を楽しむどころではありませんでした。いろいろな手立てにより年末ころから少しずつ改善し、正月の朝に久しぶりに4人一緒に「いただきます」ができました。本人たちもなんだか嬉しそうでした。我が家の場合、「雑煮」を「一緒」に食べるということだけで、これだけ大そうな経緯があるのです。そして、普通の一般的なご家庭にとってはなにげないことが、我が家では一年間で、大げさに言うと人生でも忘れがたい嬉しい出来事になります。
昨年12月に、千葉県の児童入所施設、袖ヶ浦福祉センター養育園の虐待事件が公になりました。引き起こされた重大な結果により、本人とご家族が楽しい時間を過ごす機会、可能性が永遠に失われたことは大変痛ましく、許容しがたいことです。一部の職員が「支援が難しくどうしていいかわからなくなり暴行に及んだ」と話していると報道されています。自閉症の家族を持つ我々は、一緒に暮らすことが時としていかに大変かは身に染みてわかっています。確かに入所者の支援が困難な時もあるでしょう。しかし、袖ヶ浦福祉センターは千葉県が千葉県社会福祉事業団に運営を委託し、知的障害、自閉症の支援の指導的な立場にあるべき施設でした。かなりの人的、経費の投資が行われており、少なくとも一部では先進的な支援活動が行われていました。にもかかわらず法人全体では入所者を大切にする意識、そのための具体的な取組が足りなかったと言わざるを得ません。
同センターは千葉県内の多くの障害福祉団体や関係者が運営に関与してきました。千葉県自閉症協会も成人の施設である更生園の委員会の委員を務めてきました。直接の当事者である職員、経営者の責任を明確にすることはもちろんですが、単に責任追及、処罰を要求するのみならず、今後このような事態が起こらないようにすべての関係者が真摯に努力しなければなりません。
私たちは、子どもたちにノーベル賞を取って欲しいとか大金持ちになって欲しいとか大それた願望を持っているわけではありません。本人が、日々いろいろな問題があっても大きく踏み外れることなく、また疎外されることなく、ちょっとした幸せを感じながら暮らして欲しい。そのためには、自閉症の人のことをよく知り大切にするための、すべての支援者に対する教育が最重要と考えます。我々の愛する家族が、自宅であっても、グループホームでも入所施設でも、千葉県そして日本のどこにいても、親がいてもいなくても、ささやかな幸せを感じながら暮らし人生を全うできるような社会を作っていく。その目的を目指して千葉県自閉症協会は今年1年間活動していく所存です。

新年の挨拶 2015 会長 大屋滋  みち86号
皆様、新年を迎え、いかがお過ごしでしょうか。
我が家の23歳の長男は、年末に通所施設のお楽しみ会で買ってきたアンパンマンのジグソーパズルがいたく気に入って、どこへ行くにもニコニコしながら大事そうに持って歩いておりました。より高価なビデオや玩具よりも今一番のお気に入りの様子。正月の豪華な惣菜よりも、納豆と味噌汁が何よりも大好きというのと似ています。正月に調布市にある祖父母の家まで年賀のあいさつに行き、深夜に自宅に帰宅したところ、急に不穏状態に。ピースが一つなくなっていることに気づいたのでした。何とかパニックにはなりませんでしたが、何度も欠けた部分を指さしながら、悲しそうにしていました。翌朝、私は近くの店を探し回り同じパズルを見つけ出しました。そのワンピースを彼に渡した瞬間、喜色満面。はめ込んで完成したパズルを嬉しそうに見せびらかしていました。
パズルが完全であって欲しい、いつもと同じでないと気になるという、強い障害特性があるんだなと思うとともに、それゆえに安価なパズルを何よりもの宝物にできる。新たに500円で買ったパズルの他のピースは無駄になりますが、本人にとってはとても大切ですごく重要な1ピース。ささやかなことがものすごい喜び幸せになる、値段や世間の評価は関係ない。自分の好きなものが好きという自由さに感心し、少し羨ましく思えました。
障害のある人が地域で暮らすためには、豊富な福祉サービスと相談支援、社会の危険から守る権利擁護が必要といわれています。十分とは言えないかもしれませんが、10年ぐらい前から、支援費制度の開始や成年後見制度の改正などを契機に、いろいろな仕組みが増えてきていることは確かです。しかしながら、制度があっても自閉症の本人にとって満足できる資源はまだ乏しいように思います。一言で言うと、自閉症が分かりにくい、常識から外れているということを理由に、本人らしい生活や意思がないがしろにされることがあるからです。状況を改善していくには、自閉症のことを知っている、自閉症の人に親しみを持つ施設や支援者を増やしていく必要があります。多くの千葉県自閉症協会会員が、県内各地で自閉症の人が過ごしやすい環境を作るための施設づくり、資源づくり、福祉サービスや権利擁護に関する人材育成などの活動に取り組んでいます。私個人も、地元のNPO法人あおぞらで、生活介護、就労継続、計画相談、障害者グループホームなどを運営し、一般社団法人東総権利擁護ネットワークで、啓発活動、人材育成、法人後見を開始しています。 自閉症の人を知り、その意思や希望を最大限尊重しながら暮らしを支えるためには、資源の量だけでなく、資源の質の充実が必要です。そのためには、自閉症のバリアフリー、言い換えると本人一人一人の特性の理解と合理的配慮が極めて重要です。計画相談、成年後見の本質は判断支援ですが、支援者は本人の代わりにいろいろな事柄を決めてしまうことがあります。それらの制度ができる前から、親の多くは実質的に本人の判断の支援を行ってきています。どこに住んで、昼間どこで過ごし、休日にどこに行くのか、生活の組み立てを行っています。時として、独りよがりな思い込みや価値観の押しつけに陥る危険があります。それを減らすために、本人の本当に好きなものを探し、本人の意思決定を得る努力が必要です。世間の常識やしきたりに捉われず、本人なりの価値観が最大限尊重され、それが守られ続けられるようになって欲しいと思います。
千葉県自閉症協会は、自閉症の人への合理的配慮を社会の人に伝え続け、障害者をサポートしてくれる人を増やしていきたいと思います。それが社会の中での権利擁護の最重要な道筋だと考えております。そのために会員同士がお互いの実践や情報を教えあい推進していくことが必要です。今年も皆様のご協力をよろしくお願いします。

新年の挨拶 2016 会長 大屋滋  みち88号
皆様、新年あけましておめでとうございます。
我が家では、調布にある妻の両親の家へ自閉症の長男長女を連れて年賀に行くことが毎年恒例となっています。今年も一家で出かけましたが、いつもの年と全くおもむきが違っておりました。
というのも、昨年夏に義父が背骨を骨折して、自宅で動けない状態になりました。さらに、義母も背骨を骨折し、歩行はできるものの家事ができなくなりました。幸い地域包括センターの対応は迅速で、すぐにケアマネージャーがついて様々な支援を実施してくれました。電動ベッド、手すり設置、入浴用いす、段差解消板、病院への介護タクシー、訪問リハビリ、訪問看護、入浴サービス等てきぱきと決まり、実施されていきました。高齢者に対する支援の制度はしっかりとシステムができているなと思いました。幸い、義父の病状はわずかずつ改善し、正月には、支えてもらいながらゆっくりと歩けるようになり、親族全員で近くの店までしゃぶしゃぶを食べに行くことができたのです。多くの方々の支援、福祉サービスの賜物と感じています。
高齢者の場合は、標準化された介護やリハビリの理論を軸としてサービスが組み立てられており、必要なメニューが比較的わかりやすい。家族に対するレスパイトのニーズにもそれなりに対応しやすい。本人の希望もわかりやすいし、言い方を変えれば、合理的配慮がわかりやすい。義父の場合も、本人が自宅で暮らしたいと希望し、家族もそれを実現しようとしたとき、自宅での必要なサービスを組み立ててくれました。歩けるようになりたいという希望に対して、訪問リハビリ担当者が、家の中から、庭、周囲、さらに10メートル先の道の角まで、次は50メートル先のお店までという具合に、病状の回復具合を的確に評価するとともに、本人のモチベーションを高めつつリハビリを進めてくれました。
もちろん、福祉制度のみでは高齢者二人の生活が保てるわけではなく、気持ちの支えという点でも家族の力は必要でした。ですから、この半年間、長女である妻は介護や家事のために頻繁に往復しています。この状態は今後もずっと続く見込みです。育児と親の介護を同時に行うことをダブルケアと呼ぶようですが、我が家のこどもたちは成人ではあっても日々の生活に世話が必要という意味ではダブルケアといえるのでしょう。もし、私と妻のどちらかが病気にでもなれば、トリプルケアになってしまいます。かなり際どい状況ではあります。両親の介護の支援だけでなく、同時にこどもたちの支援の量と質の向上を図っていくことも急務であると思い知りました。
障害のある人に対する地域生活支援制度は、2000年の介護保険実施の後を追って、2003年に支援費制度が始まり、2006年に障害者自立支援法(2013年障害者総合支援法)に引き継がれました。入所施設は高齢者にとっても障害者にとっても重要な選択肢ですが、自宅に住み続けるとした場合、必要なサービスはどのようなものか。一つには生活介護、就労継続などの日中活動の場、もう一つは、自宅へ訪問してくれるヘルパー、外出のための移動支援などの施設外の生活自体の支援でしょう。さらに、家族のレスパイトもかねてグループホーム等におけるショートステイも必要です。県内各地には、このようなサービスを提供する事業所が多数存在すると思いますが、行動障害の強い自閉症の人たちの利用を受け入れてくれない場合もあるようです。利用できても、自閉症や知的障害の人の気持ちをしっかりと把握し、安心して支援してくれるところはまだ十分とは言えないと思います。
今年も千葉県自閉症協会は、自閉症の人とその家族の具体的ニーズを社会の人に伝え続けます。サポートしてくれる人を増やしていくためにも、学校教育も極めて重要と思っています。当協会の活動に対して、皆様のご協力をよろしくお願い申し上げます。

新年の挨拶 2017 会長 大屋滋  みち90号

新年あけましておめでとうございます。
年明け早々の1月7日、東総地区自閉症協会、東総権利擁護ネットワーク、NPO法人あおぞら(旭市)の3団体が共催し、川崎市の社会福祉法人あおぞら共生会の経営者、明石洋子さんの講演会を開催しました。明石さんについてはご存知の方が多いと思いますが、息子さんの子育てを通じて優れた自閉症支援の実践者として、日本有数の障害者権利擁護のオピニオンリーダーとして高名な方です。
講演前にNPO法人あおぞらの生活介護事業所である海上アルファー工房にご案内しました。この事業所は定員25名で広さ約80坪。日頃から見学に来る周囲の福祉施設関係者や特別支援学校の先生から、「実施している支援は頑張っているけど施設が狭い」と言われ続け、私を含めた職員もそう思っていました。ところが、明石さんは建物を見るなり「広いわね、自分のところはもっと狭い」。はっとする私。続けて「自分のところでは、施設内ではなく、地域の様々な会社や場所で活動を行っている」とおっしゃいました。はたと納得する私。障害のある人の支援で大切なのは、建物の大きさではなく、地域とそれを支える人なんだ。私もわかっているつもりでしたが、やはり施設内部での支援に意識が囚われていました。
明石さんは、息子さんがやりたいと思ったことを実現するために、情熱をもって地域の人たちを味方に取り込み、情報を集め、現実的戦略を考え続けてきました。高校に入りたいとか、清掃局で働きたいという希望があれば、親子でそれに向かって努力し実現しました。それ以前の幼少期から、挨拶ができる人になって欲しいと考え、それを本人に強要するのではなく、近所の人の方に息子さんに挨拶をし続けてくれるように頼み込んだそうです。結果として人が好きな明るい人柄が育ちました。そして、息子さんは、明るく元気に働く大人になりたいという希望を、川崎市の公務員になることで実現し今も働き続けています。
NPO法人あおぞらには就労を支援する事業所もあります。すべての自閉症の人が明るく元気に働くことを希望するわけではないかもしれませんが、就労支援の事業所としてはとても重要な理念です。地域での就労が目的ではなく、施設内における仕事や活動する場合も、周りの人との関係は一番大切なことです。昔はともかく、今は職員が利用者に乱暴な扱いや言葉かけをすることはまずありませんが、利用者同士の諍いが生じることがあります。相手の気持ちを害するような発言を繰り返したり、事実と異なることをいう利用者がいます。社会のルールやマナーに合わないため周囲と軋轢が生まれたり、地域での活動が制限されてしまうこともあります。状況が理解できない、物忘れする、こだわる、感覚過敏、感情の起伏が激しいなど、障害自体の特性がベースにあるため、本人としては意図的に間違ったことを言っているわけではないのかもしれません。しかし、それよりも、育つ過程での周囲の人たちがその場限りの不適切な対応を積み重ねて、その結果として誤ったコミュニケーション方法や暴力的行動を身につけてしまった場合が少なくないと思います。
我が家においても、明石さんの話を聞いてから自分の子育てを振り返ると、大切にするべきポイントがずれていた、周りの人に頼る勇気が足りなかったという反省があります。元気に挨拶できるようになった青年に対して羨ましいと思う気持ちが生じ、我が子に小さいころからもう少しできることがあったのではないかと申し訳ないという気持ちも浮かんできます。でも、子ども時代に戻って生きなおすことはできなくても、何歳になっても少しずつでも必ず成長できるはず、今から始めようと思い直します。
障害者を支援する事業所においては、施設内での活動のみにとらわれず地域を主たる活動の場と考えることが、利用者の支援に一番大切なことはなにかを認識するしっかりとした基盤になる。いつもそこに意識を向け、そのための工夫をする道標になる。本人がどのように感じているのかしっかりと見極めながら、客観的な事実をしっかりと確認しながら、本人、ご家族、職員が一緒になって障害特性に見合った支援を行い、社会のルール、周囲の人とのマナーを少しずつ伸ばしていく。そして、利用者みんなが周りの人を好きになって、楽しく暮らしていって欲しい。そのようなことを考えさせられた1日でした。


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